2017年12月19日火曜日
日本人の謙虚さが誤解されないために
【英文】The squeaky wheel gets the oil
訳:車輪が軋んでオイルをさす(アメリカのことわざより)
【解説】
英語を学び、海外の人と英語でコミュニケーションをするにあたって、この格言を是非知っておいて欲しいのです。
車輪はスムーズに回転しているときは音をたてません。しかし、オイルがきれてくるとギーギーと音をたてて、車輪の不調を訴えます。言い換えると、ギーギーと音をたてると、人がそれに気付き、オイルを注すのです。
このことから、この格言は、「自分の気持ちをしっかりと言葉で表明しない限り、人は取り合ってくれないよ」ということの例えとして、アメリカ人の間で使用されているのです。
日本人の好きな言葉に「謙譲の美徳」というものがあります。
言い換えれば、自分のことを主張するのではなく、控えめであることが日本人には良しとされています。つまり車輪が軋んでも、あえてそれを声にださず、じっとしていることで、逆に控えめな良い人だということで、日本人は阿吽の呼吸でオイルを注してくれることになります。
しかし、この日本人の発想が海外では「日本人は何を考えているかわからない。不可解で付き合い辛い人たちだ」という誤解へとつながるとしたら、それは極めて不幸なことといえましょう。
でも、この誤解は実際に世界のあちこちで起こっているのです。
海外と日本とでは、コミュニケーションの方法そのものが異なる場合が多々あります。
アメリカをはじめ多くの国では、自分の意思や主張をしっかりと語ってはじめて相手に意図が伝わります。それには言いたいことを瞼の内側に具体的な画像で描いてみて、それを客観的にできるだけ詳しく語らない限り、相手に自分の意図が伝達されないことを意味しています。しかも、強調するところはしっかり強調し、感情的ではなく、それでいてはっきりとした口調で相手に意思を伝える必要があるのです。
日本人が100伝えたつもりでも、実は10も意図が伝わっていないことがよくあるのです。
控えめな表現になれている日本人が、日本人同士で語り合うときと同じ発想で英語で話をすることがその原因です。英語で話をするときは、自分の気持ちをちょっとしつこいぞと思うぐらいに表明して、初めて相手が意識してくれると思うべきです。
人のメッセージは、時間と距離が長くなり、他の文化圏へと伝達しようとすればするほど、伝わりにくくなります。
家族で会話をしているときは、100パーセント伝わっているメッセージが、他人とではそうはいかなくなることはよくあることです。それが、文化の異なる相手に伝えるのではなおさらというわけです。
ですから、そのリスクを補うためには、明快で詳細なメッセージの伝達に加え、相手に注目してもらうための強い視線や大きなジェスチャー、さらには豊かな表情を総動員しなければなりません。
これから、海外の人とコミュニケーションをするときは、必ずこの格言を思い出して、表現方法に工夫を加えるようにしていただきたいのです。
2017年12月11日月曜日
高齢者という言葉を捨てたとき、日本の社会が変化する
【 ニュース】
The Census Bureau says that by 2050, there will be 84 million seniors in this country. – So when I say, “Let’s start talking more about these wonderful entrepreneurs.” I mean, let’s talk about their ventures, just as we do the ventures of their much younger counter parts. The older entrepreneurs in this country have 70 percent success rate starting new ventures. And that number plummets to 28 percent for younger entrepreneurs.
訳:国勢調査によれば、2050年までにアメリカ人の高齢者は8400万人に達するといわれています。そこで申し上げたいのです。何か素晴らしい起業について語り合おうじゃないかと。若い世代のベンチャー企業を取り上げるのと同じように。この国の高齢者のベンチャーの成功率は70%といわれています。若い起業家の成功率は実は28パーセントなのですが。
(Ted Talk より)
【解説】
これは、66歳になって事業をおこし成功したポール・トラズナー氏が自らの経験を元に、高齢者の起業について語ったスピーチからの抜粋です。
日本社会が高齢化にいかに取り組むかというテーマが語られて、すでに20年以上が経過しています。
それにもかかわらず、高齢化社会を若年層がどのように支えていくのかという問いに有効的な回答はでていません。
しかも、高齢化社会の人口の逆ピラミッド現象への対処としては、医療と福祉の視点からしか議論されていません。それどころか、福祉の面からみた場合も、看護士や高齢者施設の介護士などをいかに充実させてゆくかという課題に対して、難問山積です。
例えば、外国人労働者に対するハードルの高い就労条件など、様々な障害が立ちはだかって、日本社会の構造疲労に翻弄されたままになっています。
こうした問題を根本的に解決するとき、我々は高齢者とはそもそも何なのかということを多面的に考える必要がありそうです。
今回紹介するアメリカの起業家のケースは、その問題に前向きな光をあてるヒントとなりそうです。
労働力に必要なことは、働く意欲(あるいは意思)と健全な頭脳、そして体力の3つの要素があるでしょう。
日本の場合、多くの人が、健全な頭脳と体力を持ちながら、意欲と意識の部分で「高齢者」となっている人が多いのではないでしょうか。
そもそも、日本は女性の労働力を無駄にしているといわれてきました。
これは、育児制度の問題などを解決することによって、早急の改善が求められる課題です。そして、女性が男性と平等に働ける環境もしっかりと作り上げ、維持しなければなりません。
しかし、それに加えて、実は日本では高齢者の労働力も無駄にしようとしているのです。
「老後」などという言葉があり、定年や退職という人生にとっての重要な変化の後、多くの人が年金生活や老後の余暇のことばかりを考えます。
また、貧富の差が拡大するなか、この範疇に入らない人には過酷な老後の労働が待ち受けています。こうしたことが、60代以上の人々の意欲と意思を毀損しているのです。
一方で老後もオフィスに通い続ける人に対して、老害という言葉があります。
これは使い方によっては高齢者への差別用語です。ただ、この表現が組織の中で、いつまでも地位や影響力にしがみついている人のことを皮肉った言葉であることも事実です。もっとも、そうした老害が発生するのは一部の、かつ経済的にも恵まれた人の間での問題でしょう。
今回の紹介したトラズナー氏のトークは、高齢者をめぐるこれらあらゆる課題に一つの答えをだしています。
高齢者の労働意欲は、過去に積み重ねた経験と蓄積された知識とが融合したときに大きな力となるのです。ここでも指摘されているように、高齢者が起業した場合、その成功率は若年層の起業よりははるかに高いはずです。
ただ、トラズナー氏のケースを考えるとき、そこには、高齢者の側にも心がけが必要だということも考えさせられます。
高齢者が新たな社会で活躍しようとするとき、彼らが陥りやすい過ちがあることを知っておくべきなのです。
まず大切なことは、過去の経験や蓄積、そして地位を「ひけらかさない」ことです。誰を知っている、何ができたということは、基本的には過去の勲章なのです。勲章は単なる飾りで、勲章をぶら下げている個人が時代から乖離していては、何の意味もありません。
また、その勲章は企業という組織があってこそ尊重されていた「ブリキの勲章」かもしれないのです。
課題は、そうした勲章をプレゼンして回るのではなく、他に働きかける前に、自らがそうしたネットワークから新たなものを掘り起こして、事業にしてゆく姿勢が大切なのです。
勲章を押し付けられ、それが受け入れられず逆ギレしたり、相手が断るに断れず、その人を困惑させ、その結果そんな相手を曖昧だと責めたりでは、健全なビジネスの運営はできません。
私の知人で、元有名な新聞社の幹部だったという人がいました。
彼は、その勲章を元に、多くの人を紹介するのですが、紹介された人も、そうした人を連れて来られた我々も却って厄介なこととなっている事実に本人は気付きませんでした。
こうしたことを自省し、過去の勲章を捨てる勇気が必要です。その上で、本人に意欲があるならば、高齢者は日本の未来にとって、最も有用な労働資源であり、経済資源となれるのです。
アメリカでは、60代どころか80代になっても、ぎらぎらとした目でビジネスを語る人を多く見受けます。そうした人の多くは、過去の自分のストーリーではなく、現在のアイディア、ビジョンについて語ります。
そうすれば、誰も高齢者のレッテルは貼らないのです。もっというなら、ビジネスにとって年齢を設定すること自体age discrimination(年齢に対する差別)として処罰されます。ですから、一旦ビジネスの場に立てば、老若関係なく、平等な扱いを受け、あとは結果をもって評価されるのみというのが、アメリカの競争社会の現実です。
では、体力はどうなんだという人もいるでしょう。
体力はもちろん年齢によって変わってくるでしょう。しかし、それは体に障害のある人が平等に扱われなければならないという制度と社会常識で解決が可能です。自らの体力に合った起業やビジネスは、ネットワークさえすれば、必ず見つけることができるはずです。
日本人の年齢人口の逆ピラミッド化が、実は日本の未来にとって大きなチャンスでありうることを、我々はもっと認識していいのではないでしょうか。「高齢者」という言葉で人を一括りにすることをやめたとき、日本の社会は思わぬチャンスを手にいれることができるのです。
2017年11月20日月曜日
ネイチャーの警告は、日本の教育のあり方への苦言
【ニュース】
Japan’s status as a science superstar is vulnerable. Nature Index 2017 Japan reveals that although the country is still among the upper echelons of global research, its output has continued to slide.
訳:日本の科学分野での優位が危機に直面している。ネイチャーインデックス2017をみると、日本が今でも世界のリサーチレベルでの上位にあるものの、その発表量は常に減少傾向にあることがわかる。(Nature Indexより)
【解説】
このヘッドラインは科学雑誌で有名なネイチャーNatureが発行するNature Indexの日本についてのヘッドラインです。
実は日本の競争力の基盤となる科学技術やリサーチ能力の衰微が現在深刻な問題にさらされているのです。
Nature Indexは、世界での優秀な論文の発表数を詳細にまとめて公表しています。それによると、日本からの科学研究の成果の発表数がこのところ他の先進国と比較しても減少傾向にあるのです。
この原因をじっくりみるとき、我々は「教育のあり方」そのものを見つめ直す必要性に迫られていることに気付かされます。
つい先日、長崎の大学で講義をすることがありました。
講義の冒頭、学生にテーマを与えました。海外の人に日本を紹介するとき、どのように日本のことを伝えますかというのがその内容です。
すると出席した70名のうち、95%の人から日本は「安全」「清潔」「食事が美味しい」「美しい四季がある」「便利」のいずれか、そして日本人は「親切」「丁寧」であるというコメントがかえってきました。
さらに、ほとんどの人が、日本人には「おもてなし」の精神があるといっていました。
さて、この回答と、Natureでの指摘とは、どのようにリンクしているのでしょうか。
まず、彼らがどうしてこのように回答したかを考えましょう。彼らに問いかけてみると、多くの場合高校教育の過程で同じようなテーマで討議を盛り込んだ、いわゆる「アクティブ・ラーニング」を経験しているのです。
また、日本での報道からの影響も大きく、多くの外国人がそうコメントしているという理由も伺えました。
では、仮に外国から来た人が、日本をみてそのようにコメントしているからといって、それを日本人がこうしたことを海外に向けて逆に表明することがよいことなのかを考えてみましょう。きっと多くの外国人は、「え、どういうこと?」と思うはずです。多くの国の人は思います。「我々にだって美しい四季はあるよ」「それって、われわれは清潔でないってこと?」「我々はまずいものばかり食べているの?」「そうかなあ、我々は親切ではなく、雑なんだ」と思うかもしれません。
彼らのコメントには、相手の身になってものごとを考え、そのデリカシーをもって日本を紹介するという、ちょっとした意識の変換への知恵が欠如しているのです。また、海外のことを知らないままに、日本に向けて語られた報道のみを受け売りにしていることも忘れてはなりません。
さらに課題は、そうしたコメントを学校の教育現場でも支持してきたことです。テレビ等での海外の人の外交的なコメントの報道について、それを検証したり、考えたりすることを教育現場で奨励していないことにも大きな課題があります。
科学的な発想力の根源はといえば、「常識を疑う心」です。これが想像力を育み、人類の進歩をもたらします。引力の発見、地球が球体であることや太陽系の一員であることの認識など、すべてはそれ以前の常識にメスをいれることから、それらの発見がはじまりました。
日本の教育は、覚えること、暗記すること、さらに試験に合格するノウハウを磨くことという技術に特化し、先生のいうことに Why? という質問を投げかけること自体をタブーにしてきたのです。
ですから、報道されていること、教科書に書かれていることを丸のみにし、模範回答をする子供が優秀とされ、それに Why? と切り込み個性をみせる子供は異端とされてしまいがちです。親も子供に学校の方針に合わせることが無難だという教育を行います。その結果、親と教師が一緒になって子供の能力を摘み取っているケースが数知れずあるはずです。
日本を海外の人にどのように紹介するかというテーマを与えたとき、正に模範解答のようにここで紹介した内容のコメントで埋め尽くされた事実は、この Why? という能力を磨くことを怠っている教育現場が生み出した負の遺産なのです。批判する目を養う意識が欠如しながら、報道や国のいうこと、あるいは権威があるといわれる人のいうことを鵜呑みにして、判で押したような回答をする子供が増えているのです。その結果、海外の人と柔軟にコミュニケーションのできない人材が日本を埋め尽くすことになりかねません。政治上、あるいは国際関係の上では一応うまくいっているようにみえても、実際は精神的に世界から孤立した人が増え続けるのではという危惧を抱くのです。
よく、日本人は自らの国を島国で、だからこそユニークだといいます。世界に島国は数え切れないほどあり、それぞれがユニークな文化を持っているにもかかわらず、日本人は自分のことを特殊あつかいしがちです。その意識が歪んだ優越感へと退化した結果、こうした判で押したような日本礼賛のコメントがでてくるのです。
こうしてみると、ネイチャーの記事が指摘する、日本人による優秀な論文や科学的発表の機会の減少は、単に英語力だけの問題ではないことがわかります。英語力は大切ですが、英語を使いどのように人とコミュニケーションをし、 Why? という疑問をぶつけ合いながら切磋琢磨できるのかという点こそが大切なのです。これは日本の教育現場全体に投げかけられる課題なのです。
英語教育の改革の現場で、4技能の育成がとやかくいわれています。
しかし、ここに指摘した課題を踏まえずに改革を実施した場合、それは新たな「受験技術」を磨くための教育がはじまったに過ぎないことになります。
英語教育をどのように変えてゆくかを見据えることと、Natureの指摘する危惧をどのように克服するかというテーマとは同次元の深刻な課題なのです。今、日本では教育者自身の意識改革こそが問われているのです。
2017年11月14日火曜日
歴史の重みに悩む社会の世直しに強権は必要か
【ニュース】
A Philippine President had an approval rate of just 48% -- the first time his popularity has dipped below 50% during his 16 – month presidency.
訳:フィリピンの大統領の支持率は48パーセントと、就任後16ヶ月にしてはじめて50%を割り込んだ(CNNより)
【解説】
今回は、先週解説したサウジアラビアでの改革の旋風を思い出しながら、フィリピンの現状を考えてみます。
というのも、フィリピンにもサウジアラビアにも共通していることは、長年の汚職や不公正に対して、強いリーダーによる強権政治が必要かどうかの是非が問われているからです。サウジアラビアは、皇太子モハメッド・ビン・サルマンに権力が集中する中で、王家も含む伏魔殿にメスがはいろうとしています。そして、フィリピンでは、逆らう者を射殺してでも麻薬と賄賂を撲滅するとしたドュテルテ大統領が話題になって、すでに1年以上が経過しています。
「フィリピンの人の顔をみるとね、いろいろなルーツがあることがわかるんです」ルソン島の中部にある町を仕事で訪れたとき、現地の友人がそうかたってくれました。
私の前に座る5人のフィリピン人。彼らの顔をみると、確かにそれぞれ異なったルーツがあることが確認できます。ヨーロッパ系、アメリカ系、中国や日本系などなど、多様な民族の血がそこに流れているのです。
まず、フィリピンは16世紀にスペイン領になっています。ですから、今でも町や通りの名前などにその名残があるだけでなく、彼らがローカルに話す様々な言語の中にもスペイン語が混ざり込んだりしています。
そして、1898年にアメリカとスペインが戦争をしました。その戦争にアメリカが勝利した結果、アメリカはスペインからフィリピンを譲渡されます。アメリカの植民地となったことが、フィリピン人が他の地域より英語に堪能になった原因となりました。また、フィリピンが近代法を導入するときなどに、アメリカの法律が参考にされました。
そして、1941年のこと、アメリカと日本が戦争になると、フィリピンは激しい戦場になりました。スペインやアメリカ領の時代にも、現地のフィリピン人への差別や虐待は多くありました。独立運動もおき、その犠牲になったフィリピンの人も多くいました。そして残念なことに、フィリピン人に対する対応は、日本が数年間フリピンを占領したときも同様でした。日本の占領政策に不満を持った多くのフィリピン人が、アメリカが日本に反撃し、フィリピンに再上陸したときに、アメリカ側に協力しました。その結果、密林の中で、飢えや疫病で数えきれない日本兵が命を落とし、戦後になっても戦犯として裁きを受けたことはよく知られています。
戦後にフィリピンは独立しますが、貧困や政変が続き、国は荒廃します。そして多くのフィリピン人が家政婦などになって海外で働きました。
この経緯から、フィリピン人にはスペイン、アメリカ、そして日本や中国の血の混じった人が多くいるのです。
フィリピンの学校ではもちろん、こうした過去の悲劇について教えています。日本人が忘れている日本軍の占領時におきたことも教わっています。不思議と彼らはそのことを公の話題にはしません。でも、彼らに深く聞けば、歴史の授業で日本のことをどのように勉強したかがわかってきます。
そんなフィリピンが独立以来悩み続けてきた社会の混乱。特に蔓延するドラッグと賄賂を一挙に撲滅しようと、強硬策を実施したのがドュテルテ大統領でした。しかし彼の人気に今陰りがでているといわれます。裁判なしで、警察がどんどん容疑者を射殺し、刑務所に送り込んだことが、人権侵害と三権分立の原則に反すると攻撃されているのです。ある人によれば、スペインの占領政策の影響で、フィリピンには多くのカトリック信者がいることも大統領の人気の陰りの原因であるといいます。教会が大統領が麻薬撲滅政策の中で、人命を軽視した改革を断行していると批判しているからです。
長い歴史の重圧を克服し、国家を成長させることは並大抵のことではありません。フィリピンに限らず、中東やアフリカなど、近世から現代にかけて植民地として収奪された地域の多くが、その影響から抜け出し社会を発展させることができず、今でも政情不安や貧困に悩んでいることはいうまでもありません。
先週紹介したサウジアラビアのように、そうしたジレンマを解決するためには強権的な改革も必要なのかもしれません。そして、サウジアラビアでのニュースが流れたとき、真っ先に思い出したのが、ドュテルテ大統領の政策でした。サウジアラビアの場合も、女性に対する不公平など、様々な社会問題を解決するときに、つねに課題となったのが、イマームと呼ばれる宗教的な権威による抵抗でした。
フィリピンの場合、人権問題という課題を克服しながら、教会や司法との対立を乗り越えて改革を続行できるか、今大統領の手腕が問われているのです。
国が未来に向けて過去の汚泥を捨て去るとき、どこまで強権を行使できるのか。あるいはどこまで強いリーダーシップが許されるのか。
サウジアラビアとフィリピンのケースが、世界から注目されているのです。
2017年10月24日火曜日
Japan Inc.というイメージを変えるには
【ニュース】
What is happening with Japan Inc? Japan has long been held up as a shining example of integrity, assured quality and reliable products…
訳:日本は誠実で、質がよく、安心できる商品を提供できるという輝かしいイメージを維持してきた。しかし---。いったいJapan Inc.に何がおきているのか(BBCより)
【解説】
神戸製鋼や日産など、日本企業のスキャンダルが相次いで報道されています。
今回の衆議院選挙の結果と照らし合わせ、保守化する日本と、そんな日本を代表する企業での不正に、海外の報道機関は複雑な視線を投げかけています。
Japan Inc.という言葉があります。文字どおり「日本企業」を示す言葉ですが、この表現の向こうには、80年代に政財界が一体となって日本という企業集団を運営し、成功へと導いていったときのイメージが残っています。
当時、高度成長以降、さらに破竹の勢いで拡大を続けていった日本企業の姿を、欧米の人々はJapan Inc.という言葉で表現したのです。
バブルがはじけて以来、そうしたJapan Inc.のイメージが変化しました。構造改革に乗り遅れ、低迷に悩む日本の産業界の姿を、人々はJapan Inc.と表現しはじめたのです。
CNNなどでは、今回の選挙のあと、安倍政権の長期化が予測されるなか、このJapan Inc.の「負のイメージ」を、いかに日本が変えてゆけるのか特集を組みました。
日本にはもっと若くリーダーシップをとれる企業人が必要とされているのではないかと彼らは問いかけます。
高齢化、財政赤字という二つの大きな課題に、日本政府は本気で取り組み、社会を変えてゆくことができるのかとも海外のマスコミは問いかけました。
海外での日本企業のイメージには、残念ながら構造疲労に苦しみながらも、未だに海外に対して鉄のカーテンを下ろしている閉鎖的な印象がつきまといます。
日本語で、日本人によってのみ運営できる企業、それが日本企業、Japan Inc.のイメージなのです。
日本企業の多くは、こうしたことへの危機感がないわけではありません。しかし、そのことへの解決策として、日本企業の人事部は、TOEICなどのテストを通して社員の英語力の向上に取り組み、英語が話せるようになれば、企業は変化するものだと勘違いをします。しかも、TOEICを導入している企業の多くは、その点数を上げることのみに腐心し、企業ぐるみで新たな受験戦争を社内に作り出しています。
根本的な問題は、日本企業内の英語力の低さではないのです。
まず、理解しなければならないのは、日本と外国とを分けて考える企業人の閉鎖性なのです。海外に進出している日本企業は、海外を外国人に仕事を教え、自らの製品を販売する場所としてしか考えず、海外の知恵を組織に注入し、日本人と外国人とを分けるのではなく、同じ企業の仲間として多様性を共有してゆく姿勢をもてないのです。
日本企業はもっと海外から役員を招き、かつ海外のことは海外に任せる姿勢が必要です。
日本企業のスキャンダルが報道されるとき、いつものように、マスコミに向かって幹部が深々と頭を下げる映像が世界を飛び交います。こうした映像を通して、まさにセレモニーのように深く頭を下げながらも、未来へのしっかりとしたソリューションを公にできない伏魔殿のような組織のイメージが、世界の消費者に植え付けられてゆきます。
別に、日本企業はアメリカなどの企業の真似事をする必要はありません。それぞれ独自の企業文化があって何ら問題はないのです。個性ある企業があり、そこに個性ある企業文化が培われていることはむしろよいことです。ただ、それが海外と共有されないことが問題なのです。Japan Inc.はJapan Inc.の方程式のみを海外に伝授しようとしがちです。しかし、それは誰にも受け入れられないのです。
日本企業に勤務し、日本人に好かれる外国人には、そんなJapan Inc.に従順な羊のような人材が多く、彼らは高給で優遇されますが、便利屋としてしか活用されません。
逆に、個性が強く、どんどん自己主張をしてくるような人は、日本企業では長続きできません。しかし、彼らの方が世界的な視野でみれば、はるかに優秀で発想力も豊かなケースが多々あるはずです。
日本社会は高齢化が進んでいます。
それだけに、企業内でも組織を活性化させる新たな血液がいずれ不足してくるはずです。海外からの輸血はどうしても必要なのです。外国人と日本人との血液を分けて使用している多くの企業が、その方針を転換でき、世界に対してリベラルに対応できるようになったとき、世界からJapan Inc.の負のイメージが払拭されてゆくのです。
2017年10月11日水曜日
2017年10月10日火曜日
日本人が知っておきたい国際舞台でのタブーとその回避術とは
【ニュース】
Offer your information voluntarily to create a confortable environment to work in the global community.
訳:自らの情報を積極的に語り、世界の人と働きやすい環境を創造しよう。(山久瀬洋二のtwitterより)
【解説】
北アイルランドに進出している国際企業の多くに規則があります。
それは、会社の中で政治の話題をもちださないこと。このタブーをおかすと解雇されることもあるのです。
どうしてでしょうか。
北アイルランドでは、イギリスからの分離独立運動が伝統的にあり、それがテロ行為にまで発展した経緯があります。しかも、この対立の背景にはカトリックとそうでない人々との宗教上の確執もあるために事情は複雑です。
そして、イギリス側に立つ人と、独立した上でアイルランドに帰属したいと思うこれらの人々が同じ職場に混在しているのです。
北アイルランドの職場でそのタブーを破ると、会社が深刻な混乱にみまわれてしまう可能性があるのです。
最近話題になっているスペインでのカタロニアの独立問題についても同様です。スペインではカタロニアのみならず、北部のバスク地方にも独立運動が根強くあります。こうした事例は世界のいたるところでみられます。
このように、海外では政治の話題を職場に持ち込むことは非常識な行為とされるケースが多いのです。
アメリカの場合、こうした民族や宗教の対立によって多くの人が移民として流れ込んできました。アメリカのパワーはその多様性にあるといわれています。しかし、それは同時に政治的、宗教的な立場の異なる人々が常にそばにいることを意味しています。
例えば、アメリカで3つの背景を持つ人がいて、夕食を一緒にしているとします。日本人、東欧系アメリカ人、そして中東系のアメリカ人です。
まず、彼らはお互いに、相手がどういった背景をもった人かわかりません。日本人は外国からきているので、アメリカ人たちも多少はそのことを意識するかもしれません。
しかし東欧系のアメリカ人からみるなら、前に座っている人がどこから来た人かはわかりません。逆も真なりです。たまたま、何かの機会に相手が中東系の人だとわかったとします。しかし、その人がイスラム教徒なのか、さらに信仰を大切にしている人なのかどうか推測だけではわかりません。もしかすると、その中東系の人の出自は、イスラエルのために国を追われたパレスチナ難民かもしれません。
実は、東欧系のアメリカ人の多くはユダヤ人の背景をもっています。であれば、お互いに相手のことがわからない以上、安易に自らの政治的スタンスについては語れないのです。
このように世界の多くの国では宗教的な背景も異なれば、国際情勢や国内の情勢に対する見解が異なっている人々が同居しているのです。しかも、それが極めて深刻な歴史的な過去とつながっていることもしばしばです。それを知らずに一方的に自らのスタンスで政治の話をすれば、思わぬ不快感を相手に与えてしまう可能性があるでしょう。
さらに例をあげれば、アメリカの中には、宗教的背景によって人工妊娠中絶に強い不快感を持つ人がいます。そうした人に彼らに共通した常識と異なる会話をしてしまったために、相手に思わぬ抵抗感を与えてしまった事例もアメリカの職場では散見します。
ですから、ある程度知り合いになるまでは、政治的なコメントを控え、お互いの交流を進める中で、少しずつ相手への理解を深めながら話題を広げてゆくのが、ビジネス上のコミュニケーションのやりかたなのです。
よく日本人は日本人ではない人を外国人と呼ぶことで、日本人と世界の他の人々とを区別しようとします。しかし、ここで語ったように、実際の世界は、ただ日本と海外とを分離すればよいという単純なものではありません。つまり、日本人は多様な世界の中の一つの民族に過ぎず、日本人も含め、それぞれ異なった人種や民族、国籍の人がいることからくる繊細さを常に心に抱いておく必要があるわけです。
であれば、当然相手方の政治的な事情や宗教的意識について軽率には触れずに、相手との会話を通して、少しずつ相手の状況がわかってきた段階で、より深い会話をしてゆく繊細さが必要なのです。
ではどうすればいいのでしょうか。
逆に、自分から進んで開示した情報についてはプライバシーでなく、どんどん質問をしても構わないという意識が世界にはあります。例えば、職場で家族の写真をみたときは、むしろ遠慮なくこの写真の方は奥さんですかなどといった質問をしたほうが、相手との紐帯を強くできるのです。
しかし、そこに開示されていない情報はプライバシーに属します。そこを聞き出すことは却って相手の抵抗を招くはずです。宗教感、政治的スタンス、年齢、性的な趣向などは多くの場合、そのカテゴリーになるのです。
だからこそ、日本人には自ら進んで自分の背景や情報を提供し、相手にポジティブな好奇心を与え、会話を進めてゆくことをおすすめします。そうすれば、相手は開示された情報だと安心して、日本のことについて様々な質問をしてくるはずです。
海外の人との交流の基本は、相手に対して自らが進んで情報を開示することにあるのです。
2017年9月25日月曜日
アメリカ人の意識を色濃く受け継ぐデモインというところ
【ニュース】
For our better ordering, and
preservation and furtherance of the ends aforesaid; and by virtue here of to enact,
constitute, and frame, such just and equal laws, ordinances, acts, constitutions,
and offices, from time to time, as shall be thought most meet and convenient for
the general good of the colony; unto which we promise all due submission and obedience.
【訳】我々がより良い秩序を維持し、その目的を達成するために団結し、その時々の必要に応じ、植民地全体の利益のために最も適切と判断される、公正で平等な法律、命令、法令を発し、憲法を制定し、政府を組織する。これらの誓約に我々全ては同意し従うことを約束する。(メイフラワー誓約より)
【解説】
一般的にアメリカと聞いて多くの人がイメージする場所といえば、ニューヨーク、グランドキャニオン、ハリウッドなどかもしれません。
もちろん、これらの地域は広大なアメリカの中のごく一部にすぎません。もっと言えば、外国人が頻繁に訪れる地域は、アメリカの中でも極めて限られているのです。
以前ボストン、ニューヨーク、ニューオリンズ、サンフランシスコ、あとは皆クリーブランドという言葉を聞いたことがあります。これは、最初にピックアップされた4つの都市以外はクリーブランドのように、中心街に高層ビルがあり、あとはショッピングモールのある郊外が広がっているという意味で、逆をいえば、アメリカで個性のある都市はこの4つだけだということを皮肉った表現となります。
ハリウッドのあるロサンゼルスも、街の構造はといえば、確かにクリーブランドに似ています。
アメリカのど真ん中にデモインという町があります。アイオワ州の州都です。大平原の中にある都市で、ある意味で一般にアメリカ人が典型的なアメリカとしてイメージするのがこの州であり州都デモインなのです。
アメリカの選挙でのこの地域の票の行方は、常に話題になります。また、新しい商品の売れ行きやテストマーケットのときも、ここでの結果に注目が集まります。というのも、デモイン周辺こそが最も典型的で普通なアメリカとされているからです。
では、そんな「普通のアメリカの普通のアメリカ人」のイメージとはどのようなものでしょうか。
比較的早起きで、朝コーヒーとハムエッグ、そしてトーストをかじって車で出社、8時ごろから敷地面積の大きな平屋のオフィスの自分のブースで働きます。あるいは工場での生産ラインにつきます。そして、午後は5時前にはすでに退社の準備を整えて帰宅。家族と共に夕食をとるときは、皆で手をつないでその日が無事に終わったことを神様に感謝。夕食は家族団欒のもっとも大切な儀式です。その後、日本の一般の家庭と同じように、テレビをみたり、人によっては書斎で残った仕事を片付けたり。時には、夜にタウンミーティング(街の寄り合い)に出席して、地元の学校のスポーツイベントなどについての打ち合わせも行います。
日本と大きく違うのは週末、特に日曜日です。それぞれの家が所属する教会に行ってお祈りをして、時には教会主催のイベントに参加します。彼らにとって教会とのつながりはプライベートな人間関係を促進する意味からも最も大切な活動です。
これがデモインの郊外の人のイメージです。
Middle of Nowhereという言葉あります。これは、見渡す限りの大草原、大平原にある小さな町。どこにでもあって、特定できないものの、アメリカ人がこう言えばすぐにイメージできる一般的なアメリカの風景です。
ここが大切なことは、この一般的なアメリカのイメージとして登場する人々の背景が、キリスト教徒でかつプロテスタントだということです。ヨーロッパでの宗教的な軋轢や迫害を逃れて新大陸に渡ってきたプロテスタントが、この地域の人口の過半を占めているのです。アメリカの社会を理解するには、このプロテスタントの文化への知識が必要です。
このプロテスタントのイメージを代表するのが1620年にメイフラワー号に乗ってボストンの郊外に移住してきたピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々なのです。彼らはイギリスの国教会に組み込まれることを拒否した清教徒、つまりプロテスタントの一派です。彼らが移住してきた場所で生活するために誓約したのが「メイフラワー誓約」と呼ばれる一枚の紙でした。冒頭でのその一部を紹介しました。そこでは入植地で自らの自治の元、法律を定め、信仰を持ってしっかりと生活を切り開くことが約定されています。
これは、彼らがカトリックやイギリス国教会のように大きな教会組織に属するのではなく、神への個人の信仰によって結ばれる者のみの共同体で村を作り、生産を行うことを記したものです。この独立と自治の精神がアメリカ人の精神構造の支柱となってゆくのです。
ですからアイオワ州に住む典型的といわれるアメリカ人は、大きな政府からコントロールされることを嫌い、自分のコミュニティのことは自分たちで決め、自らの生活を守るためには銃を持つことも必要と思います。信仰を共有する自分たちの教会を集合の場として、日曜日に集い、牧師の話を聞きます。メイフラワー号で移住してきた人々の伝統が今でもいきているのです。実は、彼らの多くが、アメリカの利益を優先しようと説いたトランプ大統領を選んだ人々なのです。
トランプ大統領の政策への是非はさておき、メイフラワー号の頃から時が経ち、彼らが上陸してきた地域は世界各国からの移民で埋め尽くされ、当時の伝統はむしろアメリカの内陸で保たれたのです。
長い時の流れの中で文化が伝承されるとき、興味深いことが起こります。
ある文化が迫害や宗教の伝道で他の地域に移動したとき、むしろその移動した地域の方で、元々の地域よりしっかりと伝統が維持され、世代から世代へと受け継がれることがあります。アメリカの多くの地域には、18世紀や19世紀に移住してきた人々の伝統が故郷よりもしっかりと伝承され、いきづいているところがあるのです。
アメリカ社会でのプロテスタントを信奉する人々の意識はまさにその事例といえましょう。彼らは一般的にヨーロッパの人々よりも熱心な信者なのです。この背景が我々が外からみても理解できない、アメリカ人独特の行動様式や常識を形成しているのです。
2017年9月11日月曜日
イギリスとスコットランドをめぐる千年の「縁
【ニュース】
The British monarchy is the direct successor to those of England, Scotland and Ireland. There have been 12 monarchs of the Kingdo m of Great Britain and the United Kingdom since the merger of the Kingdom of England and the Kingdom of Scotland on 1 May 1707.
【訳】イギリス王室はイギリス、スコットランド、そしてアイルランドの直接の継承者で、1707年5月1日にイングランドとスコットランドの王室が合併して以来、12代の君主が君臨している(ウィキペディアより)
【解説】
イギリスという国を「イギリス」と呼ぶ日本人。その語源はというと、戦国時代から江戸時代にかけてのポルトガル語やオランダ語での「イングランド」を意味する語彙が変化したものだといわれています。元々日本人はイギリスのことをエゲレスと呼んでいたことはよく知られています。しかも、当時の日本人には、イギリス本国の内政事情は伝わっていませんでした。
イギリスはイングランドとスコットランド、さらにはウエールズやアイルランド(ここはイギリスの植民地でした)に分かれていて、それぞれ別の国だったという状況は詳細には伝わっていなかったのです。
これがイギリスを一つの国家として意識した日本人のイギリス観の原点となりました。
ポルトガル人が来た頃、日本は戦国乱世でした。当時日本にいろいろな国があって、覇権を争っていた事情がヨーロッパに詳細に伝わらないのと一緒で、彼らは日本のことを一括してJapan(ポルトガル語としてJapao)として意識したのです。
今、イギリスの正式な国名は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland です。ちなみに、一般的にはこの正式名称の前半部分を省略してUKと呼び、正式名称として使用することもよくあります。イギリスの事情を理解するには、この国名の意味をしっかりと把握することが大切です。
まず United Kingdom ですが、これは文字通り王室が合併したことを意味します。スコットランドとイングランドは元々別の国家でした。しかし、当時ヨーロッパの王国は皇族同士が政略結婚によって複雑にネットワークしていたのです。例えば、オーストリアを統治していたハプスブルグ家の王(神聖ローマ帝国の皇帝)は、スペインの王室と姻戚関係にあったことから、一時スペインがハプスブルグ家に統治されていたこともあったのです。その後、複雑な経緯を経てスペインの王室と同様の姻戚関係にあったフランスの王室がスペインの王位を継承します。皮肉なことに、フランスは1789年から本格的にはじまったフランス革命、さらには19世紀におきた政変でブルボン朝は消滅します。しかし、スペインの現国王フィリッペ6世はれっきとしたブルボン家の末裔なのです。
話は戻りますが、スコットランドとイングランドの王室がそうした姻戚関係の確執の末に一つになったのは1707年のことでした。この両国の合同こそが、United Kingdom ということになります。そして、その時に正式な国の名称となったのがグレートブリテン Great Britain だったのです。
では Britain とは何のことでしょうか。
これは、イギリス本土の島の名前です。さらにお隣のアイルランドや周辺の島を合わせるとブリテン諸島ということになります。ギリシャやローマ帝国の頃に、辺境のこの島をそのように呼んでいたことが語源です。ちなみに、このブリテン島に北欧から移住して王国を造った人々がアングロサクソンと呼ばれる人々で、ローマ帝国の崩壊以降の混乱で、ブリテン島に居住していた人々は時とともにフランスにも逃れてきました。そうした人々の住む地域がフランスのブルターニュ(ブリテンの人々の住む地域)ということになります。
1066年にフランス王の臣下であったノルマンディ公が王族同士の姻戚関係からイングランドでの王位継承を主張し、イングランドに進攻し、王朝を開きます。以来、フランス王とイングランド王との間にも、かつノルマンディ公の進攻を免れたスコットランドとイングランドとの間にも様々な摩擦が絶えなかったのです。
スコットランドは現在 EU に残り、より大陸とのつながりを強くしたいと願っています。それに対してイギリスという国家、すなわち Great Britain は EU からの脱退を決議しました。
イングランドは中世に100年戦争を経てフランスから正式に分離されます。しかし、スコットランドの王室はその後も大陸と深いつながりを持ち続けていました。実はイギリスの繁栄を築いたといわれる16世紀後半のエリザベス一世の時代、この政治的な争いが王族の血で血を洗う確執に発展し、スコットランドの女王であったメアリー・スチュアートがエリザベス一世に処刑されたこともありました。
しかし、現在のエリザベス二世の系譜をたどれば、スコットランド王室の血がしっかりと流れていることがわかります。
以上のような背景を理解しないまま、その昔日本はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland のことを「エゲレス」と呼び、それがイギリスへと変化したのです。
これからEU離脱をめぐり、スコットランドがどのような対応をするのか、国王の絆だけで結ばれているイギリスという国家の背景は思ったより複雑なのです。
2017年7月31日月曜日
『正当な英語』にこだわる日本人の大きな落とし穴
言語教育を考えるとき、そもそも正当な表現や発音は何なのかということに人々はこだわってしまいます。
13億人以上が使用する中国語を例にとれば、最もスタンダードな中国語は北京語であるとされ、人々は北京語のことを「普通話」と呼んでいます。
しかし、長い中国の歴史をみるならば、北京語が標準語になったのはごく最近のことなのです。現在の北京語は、17世紀に満州族が中国に侵攻して打ち立てた清の時代にできあがったといわれています。元々の中国語に満州族の発音などが混ざり、北京語となったという説が有力なのです。
では、本来の中国語のルーツはというと、現在の華中あたりの中国語ではなかったかといわれています。今では、「普通話」以外の中国語は方言とされていますが、実は方言の方が正当な中国語だったというわけです。
日本語では漢字を使いますが、いうまでもなく、これは中国から輸入したものです。そして漢字の音読みの中に中国語の古い発音が残っていることを知っている人はあまり多くないようです。漢詩は中国語の発声の美しさを意識して作詞されているといいますが、現在の北京語では漢詩が頻繁に造られていた唐の時代の発声を再現することはできないのです。むしろ華中の方言や日本語の音読みの中にそのヒントがあるのです。
中国人の多くが方言と言われている地元の発音や発声にこだわっている理由は、本来正当ではない北京語への反発もあるのだと、中国の友人が語ってくれたことを思い出します。
これは日本語でもいえることかもしれません。正当な日本語は東京で話されている言葉かというと、そうではないはずです。元々京都が日本の首都であったわけですから、関西弁の中にそのルーツがあるのかもしれません。
こうしたことを考えると、正当な言語というのは、時の権力や為政者の意図により時代ごとに変化してきたことがわかります。
以上の背景をもとに、英語について考えます。
英語とは、イギリスに起源を持つ言語だといわれていますが、今のイギリスで話されている英語が古来の発音やアクセントをそのまま維持しているかというと、必ずしもそうとはいえないのです。むしろ、イギリスから移民として渡ってきたアメリカ人が受け継ぐ米語の中に、元々の英語の発声の起源をみいだすことができるという専門家も多くいるのです。
正当な言語。それは、現在最も普通に喋られている言葉にすぎません。
さらにいうならば、国家や民族としてのアイデンティティを維持するために、意図的に標準化されていったのが「正当な言語」なのです。
そもそも、世界で喋られる言語としての英語をみた場合、米語であろうが、英語であろうが、それを正当と決めてしまうこと自体に無理があるかもしれません。インド人が強いアクセントの英語を喋るといいますが、インド人からしてみれば、それがごく当たり前の英語というわけです。
そうした視点でこれからの日本の英語教育をみた場合、アクセントや発音にこだわりすぎ、日本人の英語とはなにかいう側面を忘れた場合、そこに大きな落とし穴があることを、ここで強調したいのです。
英語が世界言語である以上、米語のアクセントや発音に合わせ、少しでも似せてゆくことより、日本人のアクセントを世界に流通させる努力も必要なのです。それが日本の国益にもつながることをどれだけの人が意識しているでしょうか。
さらにいうなら、自動翻訳や音声認識に関する技術が世界で共有されつつある現在、そうしたサービスに日本人のアクセントが対応できるようにしてゆく努力を怠ってはいけないのです。英語の発音というビッグデータに、日本人のアクセントをしっかりと組み込んでゆく努力を我々は真剣に考える必要があります。それを怠ると、日本人がコンピュータに向かって喋っても、それが十分に認識されないという不利益につながってしまいます。
日本人は、明治維新以来、欧米に自らを合わせてゆくことに注力してきました。今、英語教育が見直されようとしています。話せて聞けて、コミュニケーションのできる英語を教えるようにという英語教育改革は歓迎されることです。
ただ、そのときに、発音やアクセントにこだわりすぎ、やれ舌の位置だの唇の動かし方だのを完璧にしようとすれば、むしろコミュニケーションそのものの能力開発が後回しになってしまいます。
日本人のアクセントで構わないので、通じて分かり合う英語力を磨く方が、はるかに大切なのです。
正しい発音やアクセントという考え方は、米語を「正当な英語」と意識してはじめて成り立つ概念です。
今、大切なことは、世界に太刀打ちできる日本人を育てることです。「正当な言語」にこだわることではなく、日本人のアクセントがあっても堂々と世界の人々と分かり合える人材を育成することが求められているのです。
それが、ビッグデータでの日本人英語の課題とリスクを考える上でも、忘れてはならないことなのです。
2017年7月4日火曜日
いまだに世界からの人材を育成できない日本企業の課題とは
【ニュース】
Harmony or “Wa” is a basic Japanese value defined as the ability of people to cooperate and work together well.
訳:和の精神は、人と人とがいかに心地よく、ともに過ごし、働くかということを示す、日本の基本的な価値観です。(「日本人の心」より)
【解説】
80年代のニューヨーク。
タイムズスクエアに行けば、そこには日本企業の広告が溢れていました。
そんなタイムズスクエアの雑踏を歩けば、ケチャップ詐欺やワインボトル強盗なるチンピラが、日本人の旅行客を目当てに、キャッシュを頂戴する悪さをしていました。
ケチャップ強盗とは、狙いを定めた人にケチャップをかけて、すみませんと被害者の服を拭いている間に、バッグからお金を頂戴するという連中です。そして、ワインボトル強盗とは、獲物と定めた旅行者にわざとぶつかって、その拍子に持っていたワインの瓶を道に落とし、高級なワインを台無しにされた、弁償しろと言ってキャッシュを奪うワルたちです。
これはニューヨークが治安面での課題が多かった時代のエピソードです。
さらにいえば、ニューヨークのみならず、アメリカ全体がベトナム戦争以降の様々な社会問題、人種問題、そして経済的な地盤沈下に悩んでいました。アメリカの知識人の多くが、アメリカという国家が混乱の中で世界に追いつかれ、追い越されてゆくのではと不安を抱いていました。アメリカの様々な価値観そのものに疑問を抱く人々も多くいました。そんなアメリカに挑戦してきた最大のライバルとして羨望と嫉妬の対象となったのが日本だったのです。
戦後の混乱を克服し、世界でも群を抜いた経済大国になった日本。80年代はまさにそんな日本の絶頂期でした。実際、日本のノウハウを探求しようと多くの人が日本について学んでいました。
マンハッタンの国連ビルの側にジャパン・ソサエティという、日本文化をアメリカに紹介する財団があります。そこでは日本語の講座も開設していますが、当時講座の受講希望者が3,000人を超え、多くの人が予約待ちの状態だったのです。
現在のアメリカでの知日派と呼ばれる人々は、その頃に日本語を学び、日本と交流をもったのです。それは、第二世代の知日派グループとなります。第一世代は、戦後に占領下の日本を訪れたアメリカ軍やその関係者たちでした。第一世代はアメリカと日本との戦争の結果によって、第二世代は経済交流によって育まれたのです。
今、日本語熱も日本への関心も過去のものとなり、逆に日本はグローバル化の波に取り残された、老朽化した経済大国というイメージの方が定着してしまいました。実は、皮肉なことに、そのイメージを最初に抱いたのも、この第二世代の知日派たちだったのです。
それは、日本という異文化社会への好奇心と憧れの後を見舞った失望でした。
当初、日本式のビジネス・マネージメント、そしてコミュニケーション・スタイルは彼らにとって驚きの発見でした。グループでしっかりコンセンサスをとって、「和」 Harmony の精神のもと、それぞれが自らの責任領域の中で忠実にミッションを完遂してゆく日本企業の姿勢は、個人プレーとプレゼンテーションが優先のアメリカ型の常識とは真逆のものだったのです。
しかし、第二世代の人々の多くは、そんな日本型ビジネス文化を直に経験したとき、自らのルーツとのあまりの差異に戸惑ったのです。そして、日本企業の中での自らの立ち位置を見出せないまま、日本社会から離れていったのでした。
これには、日本側にも大きな責任がありました。今でもそうですが、多くの日本企業は、海外からの人材を受け入れたとき、彼らが自らに合わせるよう学習することを求め、彼らの強みをそのまま活用しようとしないのです。
従って、自らを殺し、日本企業に忠実に自分を合わせてゆける人のみが、組織に残り、いわゆる英語が使える「便利屋」として使われてきたのです。
それに失望した人々が日本を去ったのです。まして、バブル経済が崩壊した後の日本には、彼らは魅力を感じなかったはずです。
日本とは異なる文化背景をもつ海外からの人材は、日本企業からみれば確かにマネージしにくいはずです。しかし、日本に合わせるのではなく、彼らの個性と才能をしっかりと活かせる柔軟な組織を造ることができれば、日本企業はさらに世界に根をおろしてゆくことができるはずです。
日本企業に忠実で英語のみを武器としている外国人社員ではなく、世界のダイナミックな経済活動の中で活用できるグローバルな人材をいかに海外から受け入れ育ててゆくか。日本企業にはその見極めと、ノウハウがなかなか培われないのです。
バブルに浮かれた「お金持ち日本人」を目当てにしたケチャップ詐欺とワインボトル強盗。そんなワルのみならず、ビジネス上の動機に押されて真摯に日本を学習しようとした人々までが、日本を離れていった今、知日派の第三世代が世界で枯渇しようとしています。
日本人が、海外の知恵をいかに取り入れ、融合させてゆくかは、中長期的にみれば、そうした日本を知る人を「第三世代」としていかに大切に育ててゆくかという課題に直結しているのです。
2017年6月20日火曜日
「少年少女と酒場?」その背景にある価値観とは
【ニュース】
Dry county is a county in the United States whose government for bids the sale of any kind of alcoholic beverages.
訳:ドライ・カウンティ(禁酒群)とは、アメリカで一切の種類の販売を禁止している政府のある地域のこと(ウィキペディアより)
【解説】
ラスベガスでのことです。
中学一年生の甥が、ホテルに併設されたカジノの椅子に座っていると、係りの人がきて、子供をスロットマシーンの前に座らせてはいけないよと注意を受けました。
当然のことと思い、甥を促し別の場所に移動させました。
「そうだね。アメリカでは子供の世界と大人の世界とを明確に区別するので、注意が必要だよね」
私のアメリカ人の友人がその話をきいてこのようにコメントします。
これを聞いたスペインから来た友人が興味深い発言をしました。
「スペインでは、バーが子供の立ち入りを拒否したことが問題になったケースがあるんだよ」
バーはお酒を飲むところ。つまり大人の空間のはずです。
子供が入るところではないという暗黙の了解があるものと思っていただけに、この事実には驚きました。
「つまりね。子供にはジュースをだせばいいだけのこと。それを、立ち入りを拒むということは民主的ではない。実はこの件、司法の判断も子供の立ち入りを認めるべきということになったんだ」
「うそでしょ」
アメリカ人はびっくりします。
「お酒を飲む場所に子供を連れてくること自体、アメリカでは厳しく弾劾される行動だよ」
アメリカ人とスペイン人のこの対話は、バーに子供をいれるべきかどうかというテーマを超えた文化の違いを語ってくれます。
まず、この会話の向こうには、多くのアメリカ人の心の奥底にあるお酒への「罪」の意識が見え隠れします。1920年代に禁酒法を制定したことのあるアメリカは、伝統的にプロテスタントが人口の過半をしめる国家です。
個人の節制と勤勉こそが信仰の証とするプロテスタントの教義は、酩酊に対する嫌悪を社会に根付かせました。
この嫌悪感とアルコールの弊害から子供を守ろうという人権の問題とが融合したのが、バーやカジノへの子供の立ち入り制限の背景にあるというわけです。
「でも、日本でも子供が盛り場に入ることは非行とみなされるよ」
私がスペイン人の友人にそういうと、
「子供が親の監督下にいればいいわけだよね。だから、親と子供が一緒にバーにはいることは問題ないはず。しかも、日本人は一般的には酔っ払うことに極めて寛容だよ。欧米ではふらふらして街を歩いたり、電車に乗っただけで、自分をコントロールできない危ない人だとみられかねないのに、日本ではそんなことはないよね」
と彼は解説します。
「しかし、何かしっくりと理解できないものがあるな」
アメリカ人の友人はまだ納得できずにいます。
「スペインはカトリックの国なんだ。僕たちは思うんだ。そもそもワインはキリストの血とされてきたじゃない。聖書でもお酒は非難されていないのに、プロテスタントの人たちはどうしてあんなにお酒を目の仇にするのかって」
この議論の向こうに、プロテスタントの道徳律の影響を強く受けたアメリカと、カトリックの影響を未だに色濃く残し、長年スペインの植民地だったメキシコとの対立が見えてきます。
ドナルド・トランプがメキシコからの移民を制限しようとしたことと、中東からの入国を差し止めようとしたことの背景に、この宗教的対立からくる偏見が本当になかったのでしょうか。
安い賃金で働く不法移民がアメリカ経済を破壊し、中東からイスラム教過激派のテロリストがやってくるという表向きの理由だけを鵜呑みにできなかった人は多かったはずです。
アメリカの中には、地方に行けばドライ・カウンティDrycountyと呼ばれる地域が今でも残っています。この地域ではお酒を販売したり買ったりできないのです。
これに対して、お酒を自由に売買できる地域はウエット・カウンティWetcountyと呼ばれています。こうした地域がドナルド・トランプのみならず、アメリカの保守の票田となっているのです。
バーに子供をいれるべきかどうかという道徳上の問題の是非はともかくとして、少なくともプロテスタンティズムを理解することがアメリカの政治や社会を理解する鍵となることだけは間違いないようです。
2017年6月13日火曜日
アメリカとメキシコが対立する本音とは ~ バハ・カリフォルニアでの夕べより~
メキシコからの不法移民や安価な商品の流入に対するトランプ大統領の強硬策が話題になって久しいですが、CNNが面白い特集をアメリカで報道しました。
それは国境警備にあたる国境警備隊border controlの自殺率が高いという報道です。
「それはそうだよね。貧しく、厳しい生活をしている人がやっとの思いで国境までやってくる。なんとか、入国しようと必死になっているところを捕まえて、強制送還するんだろ。精神的にはストレスのある仕事だと思うよ」
先週、アメリカ人の友人とサンディエゴからカリフォルニアコーストを通って、メキシコのティワナTijuanaに陸路入国した後、こんな話をしました。国境はメキシコ側にもフェンスはありますが、アメリカ側にはさらにがっちりした壁が国境に沿って続いています。
「昔似たようのものを見たことがあるよ。そう、90年ごろまであった東西ドイツを隔てた壁、それに今でもあるイスラエルでユダヤ人居住区とパレスチナの人とを隔てた壁。あの二つの壁にそっくりだよ」
国境のフェンスに沿って並走するメキシコ側のハイウエイを走りながら、そんなことを友人に語りました。
翌日、メキシコ人の仕事仲間と夕食をとっていたとき、彼が面白いことを口にしました。
「ねえ、みんなアメリカが、例えばニューヨークやロサンゼルスがアメリカ大陸の文化の中心だと思っているだろう。でもね。その昔はテオキワカンTeotihuacanが中心だったんだよ」
「テオキワカンってメキシコシティの郊外にある古代インディオ(メソアメリカ)文明の遺跡のことだろ」
「そう。実はあそこの遺跡を調べていると、遠くは南米のチリやアメリカのアリゾナ州あたりから交易の商人や巡礼が来ていた証拠がたくさん出てくるんだ。人々はアメリカ大陸のあちこちから、あそこを聖地として崇めてやってきていたのさ」
「でも、今、メキシコはその後やってきたスペイン人に征服され、言葉もスペイン語になってしまった」
「そうだよ。でもね。変じゃない?よくアメリカ人はメキシコに行くと英語が通じなくなるって文句をいうだろ。確かにメキシコシティに行って英語を話してもよく通じないよね。でも、考えてみな、ここはメキシコだよ。僕は逆にアメリカに行ったら英語しか通じないし、スペイン語が役に立たない。困ってしまうよって言いたいよ。彼らは常にアメリカを中心に見てものを言っている。我々は、そんな彼らと違って、我々こそ、アメリカ文明の中心だというテオキワカンの発想が必要だってわけさ」
メキシコに行くと、征服民族であるスペイン人が拓いたスペイン風の街並みが美しいので、時間があればよくそんなオールドタウンを訪れます。
そこには、必ず荘厳なカトリックの大聖堂cathedralがあります。いかに彼らが中南米を植民地化し、そこの富を収奪するために布教に力をいれていたかがわかります。そう、メキシコはカトリックの国なのです。
そして、アメリカはプロテスタントが先に入植し、開拓して国家の礎を作りました。宗教戦争以来、様々な形で反目していた、キリスト教の二つの宗派が、新大陸でも南北でにらみ合っていたことになります。
ですから、アメリカ合衆国では当初同じ白人系でもカトリック系のアイルランド人やイタリア人の移民は差別の対象となっていました。アメリカの南、メキシコ人への偏見の原点はこの宗派の対立とは無縁ではないようです。
「そうだよね。宗教改革がヨーロッパで起こって、それまで特権を享受していたカトリック教会はそれができなくなる。財政的にも、権威の上でも新しい領土が必要になった彼らは、中南米にやってきた。そして、そんなカトリック教会と対立し、時には迫害を受けていたプロテスタントの人々や、ユダヤ系の人々が北米にやってきて、新天地で生活をはじめた。今でもその意識の対立が無意識の偏見や敵愾心の原点というわけか」
「ドナルド・トランプは、ビジネスマン。そしてプロテスタントの一派である長老派Presbyterianの家族の出身だったね。子供の頃から北アメリカの移民の本流だったわけだよ。プロテスタントは教会の権威を否定し、自分と神とを直接つなげようという運動だったから、カトリックのように荘厳な聖堂を必要としなかった。むしろ、その分、コツコツと勤勉に働くことで、蓄財をすることを良しとしていた。だから、アメリカは経済的に発展できたということか」
「そんな、アメリカに旧教の色濃いメキシコからの人が、しかも貧困者が入ってくることが、感情的に嫌なのだが、その本音は言い難い。だから、不法移民と安い商品という言葉にすり替えて、この21世紀の万里の長城を作ったというわけさ」
メキシコの太平洋沿岸はバハ・カリフォルニアといい、訳せば「下(しも)カリフォルニア」ということになります。ここには、美味しいワイナリーも多く、アメリカから休暇を楽しむ人もやって来ます。そんなワインと料理に舌鼓を打ちながら、トランプの政策をメキシコ人と批判するのは、今ではごく一般の話題となっているのです。
2017年5月23日火曜日
移民パワーを知らずしてアメリカは語れない イランの大統領選挙を注目する理由は?
【海外ニュース】
Rouhani on pace to win re-electionin Iran.
訳:イランでロハニー氏が順調に再選される
(New York Timesより)
【ニュース解説】
アメリカの世界戦略を理解することは、英語を学ぶ人にとって、海外の人との話題についてゆく上でも大切なことです。
今回はイランでの大統領選挙のニュースを例にとって、解説をしてみましょう。
そもそも、なぜイランの選挙がアメリカの外交戦略に関係するのかと思う人も多いかもしれません。その答えは、アメリカという国の成り立ちを振り返ればわかってきます。
アメリカの外交を考えるとき参考にしたいのが、アメリカが移民国家であるという実情なのです。
今まで世界で騒乱がおきると、そうした地域からアメリカに移民が流入してきました。例えば、1959年にキューバで共産革命がおきると、それを嫌った人々が大量にアメリカに流れ込みました。ベトナム戦争が終結し、当時の北ベトナムが南ベトナムを占領すると、多くの人がアメリカで新たな生活にチャレンジしました。
そして、1979年にイランで革命がおきたときも、同様に大量の人々がアメリカに移住したのです。
彼らに共通していることは、革命で倒された政権が元々アメリカの支援を受けていたことでした。イランの場合、革命以前はパーレビ国王が統治する王国で、アメリカはソ連への防波堤として軍事的にも経済的にも国王を支援していたのです。そうした中で、アメリカの影響を嫌い、イスラム教の伝統に基づく国家建設をスローガンに、民衆が蜂起したのがイラン革命でした。
キューバにしろ、当時の北ベトナムにしろ、そしてイランにしろ、政変の後アメリカはそうした国々と国交を断絶し、経済的な制裁を加えてきました。
アメリカに移民してきた人々は、政変で祖国を追い出された人々なので、アメリカの動きに同調します。彼らはアメリカで市民権を獲得し、有権者としてアメリカの政治にも影響を与えるようになってゆきます。
アメリカが複雑な外交戦略を遂行するとき、そうした移民の有権者、そして、元々は移民であった専門家の影響が常に介在しています。
今、西海岸などを中心に47万人以上のイラン系アメリカ人が住んでいます。彼らの多くは、現在のイラン・イスラム共和国を否定し、自らのことをイランの伝統的な国名であるペルシアの人 Persian であると主張します。
そして今回イランで大統領選挙があり、現職のロハニー氏 Hassan Rowhani が大差で再選されました。イランを逃れ、アメリカに移民してきた人は、ロハニー氏の再選をイランの国際化の証として歓迎しているはずです。もっとも、イランの場合は、大統領といえども、宗教的な最高指導者であるハメネイ師 Ali Khamenei の権限を超えることはできません。しかし、ロハニー大統領が保守派の候補者を抑えて大差で再選されたことは、今までのイスラム至上主義政策にも、少なからぬ影響がでてくるはずです。
ところで、この穏健派で西欧諸国と融和政策を進めてきた大統領がイランで再選されているまさにその時、アメリカのドナルド・トランプ大統領はイランの隣国サウジアラビアを訪問していたことも忘れてはなりません。
トランプ大統領が、イスラム諸国からの入国制限を強行しようしたことはまだ記憶に新しいはずです。その中には、イラン国民も含まれていました。オバマ前大統領のときに、両国は関係改善の道を模索していただけに、この決定は世界に大きな衝撃を与えました。
ところが、今回サウジアラビアでトランプ大統領は、過去のイスラム教への敵意を露わにしたかのような発言を大きく変更しました。イスラム教とイスラム過激派とをはっきり分けて、イスラム社会にも敬意を表し、サウジアラビアや湾岸諸国との友好関係も強調したのです。
大統領に就任し、複雑な国際関係のあらましを知るに従って、トランプ大統領の従来の強硬姿勢にブレーキがかかりつつあります。
アメリカのイラン系の移民、さらには300万人以上といわれるイスラム教系のアメリカ人の存在を、トランプ大統領は意識したのかもしれません。
ロハニー大統領は、今後さらにイランと西欧諸国との関係正常化を模索してくるはずです。ちなみに、トランプ大統領が訪問したサウジアラビアは、イスラム教の中でもスンニ派が主流となっている国家です。それに対してイラン人の大多数はシーア派です。この二つの国家は、常にイスラム圏では対立項におかれていたのです。一筋縄ではいかないのが外交戦略というわけです。
最後に、オランダやフランスの大統領選挙でポピュリズムに乗った右傾化に待ったがかかったことと、今回のイランでのロハニー大統領の再選劇には共通した世論の動きが見られることも強調しておきましょう。それは右傾化し世界から孤立してゆくことに対する警戒感です。
右傾化にストップがかかることは、特に祖国との絆の深いアメリカの移民一世にとってはありがたいことのはずです。
そして今、トランプ大統領は支持率の低下に悩んでいます。複雑な政治経済環境の中で、なかなか公約が実施できないことと、彼自身にかけられたロシアとの癒着などの嫌疑への国民の戸惑いが支持率低下の背景にあるのです。
再選されたロハニー大統領が、アメリカに亡命した人々も視野にいれながら、トランプ大統領にどんなボールを投げてくるか。今後の動向が気になるところです。
2017年5月16日火曜日
英語の未来を考えよう。これからも英語は世界の言語として君臨するのか・・・?
最近、世界の動きが読みにくくなっています。
特にヨーロッパの政情は混沌としています。イギリスのEUからの離脱という激震の後、オランダやフランスの選挙では、右傾化の流れをなんとか食い止めることができましたが、今後EUが今まで通り安定した体制を維持できるかは不透明です。EUはかじ取り役としてのドイツとフランスの連携がさらに求められるようになるはずです。
一方、一時は世界のGDPの半分を生み出していたアメリカの影響力が、21世紀になって陰り始めてきたことも考えなければなりません。アメリカは以前のように世界の警察官としての強いリーダーシップをとれなくなっています。20世紀の混乱を克服した中国の伸長が著しく、アメリカに次ぐ経済力によって存在感を誇示していることもその理由の一つです。そして、ロシアがソ連崩壊後25年を経て、再び強国として台頭してきたことも忘れてはなりません。
こうしたイギリスやアメリカという英語を母国語とする強国の立ち位置の変化をみるとき、今後も英語が世界の言語としての地位を維持できるのだろうかという疑問を抱く人もいるかもしれません。世界の人々の共通言語として、いつまで英語は機能できるのでしょうか。
英語が世界を席巻した理由は3つあります。
最初の理由としては、19世紀に世界の工場として産業革命をリードし、各地域で植民地を経営していたイギリスの影響があげられます。イギリスは、英語が世界中に流布する土台をつくったのです。
次に、アメリカの存在です。20世紀、アメリカは世界最大の経済大国、そして軍事大国として君臨しました。ヨーロッパが古い政治体制からの脱皮にもがき、二つの世界大戦で致命的な打撃を受けていたとき、アメリカは広大な土地と移民の活力で成長し、戦争に明け暮れる旧世界に対して世界最大の債権国となったのです。このことが、ビジネス上の共通言語としての英語の地位を盤石にしたことはいうまでもありません。
であれば、イギリスに次いでアメリカの地位までもが相対的に陰りつつある状況が、世界言語としての英語の地位に影響を与えるのではいう懸念も生まれます。
しかし、ここで3つ目の理由に注目する必要があります。それは、英語が、ヨーロッパ系の多数の言語の終着点に位置しているということです。それがゆえに、英語は今後も世界の共通語として進化するのではと思われるのです。
詳しく語ってみます。
英語はもともと中部、そして北部ヨーロッパで活動していたゲルマン系の人々の言語にそのルーツがあります。ローマ時代の後期、ゲルマン人がヨーロッパ全土に移動したとき、イギリスにもアングル人、ジュート人、サクソン人といったゲルマン系の人々が住み着きました。5世紀頃のことです。彼らの言語が古英語と呼ばれ、いわば現在の英語のプラットフォームの役割を担ったのです。古代の英語のプラットフォームに、当時の文明国であるローマからラテン語の語彙が取り込まれます。そして、その後ノルマン人がフランスからイギリスに侵入すると、中世フランス語がさらに取り込まれてゆくのです。
実は11世紀には、イギリスでは上流階級の人々はフランス語を公用語としていました。それが、イギリスがフランスから自立し、独立国家として成長するにしたがって、英語がフランス語にとって変わるようになったのです。したがって、古くからの英語のプラットフォームには、ドイツ語などのゲルマン系の言語のみならず、ラテン語やフランス語の語彙も数多く取り入れられたのです。
つまり、英語はその成り立ちからして国際的な言語だったというわけです。
そして、ヨーロッパ各地の言語が流入し成熟した英語は、もともと他の言語よりも比較的シンプルな文法体系を持つ言語として成長したのです。
この3番目の理由こそが、英語が国際語として世界に受け入れられてきた隠れた原因なのです。
中国は、古代に東アジアを中国語という言語によって席巻しました。そして現在13億人以上の人々が中国語を話しています。それに対して、英語を母国語とする人は5億人前後なのです。
それでも、中国人が海外でコミュニケーションをするときには英語を使います。そしてそのことに中国人自身が違和感を感じていません。英語はイギリスやアメリカという国籍を超えて、世界の人が違和感なく使用できる唯一の言語となったのです。それは、19世紀から20世紀にイギリスとアメリカによって英語が世界に拡散したことに加え、英語が多国語を取り入れて造られたシンプルで柔軟な言語だったからなのです。
最後に、今後イギリスやアメリカのような、軍事力だけではなく、経済力と指導力を駆使して世界でリーダーシップをとってゆく国家は当分現れそうにないことも特筆します。英語は、世界が二つの世界大戦の教訓から、ナショナリズムと言語や文化を融合させ他国へ強要することを、世界の多くの人々が忌避するようになる前に、世界言語としての地位を確立したのです。
ですから、例えば今になって中国が覇権を唱え、中国語を拡散しようとしても、世界はそれを単なる大国のエゴとしか捉えないはずです。もちろん、フランス語やドイツ語が英語に変わることはありえないでしょう。
ただ、今後、英語はそれぞれの地域や文化の中で新しいスラングや表現を生み出し、多様に変化してゆくことは考えられます。22世紀の共通語はおそらく英語でしょうが、表現方法にはいろいろな変化がみられるかもしれません。
言語は常に進化します。しかし、その根幹としての英語のプラットフォームは今後も世界に共有されてゆくのではないでしょうか。
2017年5月9日火曜日
I feel very very happy
I feel very very happy for France of course but also Europe. Today, is the fight between pro-Europeans and anti-Europeans.
2017年5月1日月曜日
2017年4月24日月曜日
2017年4月17日月曜日
アメリカ(欧米)との交渉術について特に知っておきたいこと
今ほど、アメリカのビジネスカルチャーについて真剣に理解しなければならない時はないと思います。
それは、何と言っても、アメリカのビジネスの中でも最も保守的で、かつアメリカのビジネスマインドを行動原理としているドナルド・トランプが大統領になっているからです。
2017年4月10日月曜日
The Emerging Trump Doctrine
President Trump demonstrated a highly improvisational and situational approach that could inject a risky unpredictability into relations with potential antagonists, but he also opened the door to a more traditional American engagement with the world that eases allies’ fears.
2017年4月4日火曜日
carlos ghosn
Carlos Ghosn is stepping aside as the chief
executive of Nissan Motor, more than 15 years after he took control of the Japanese
automaker and helped save it from collapse, becoming in the process a rare and celebrated
foreign executive in Japan.
2017年3月27日月曜日
2017年3月20日月曜日
Turkey and the Netherlands clashing
The Netherlands barred Turkey's top diplomat from entering the country to address a political rally. That set off ugly diplomatic feuding, name-calling and popular unrest.
2017年3月13日月曜日
文明を消化できない
Johann Gutenberg’s invention of the
printing press around 1448 had a significant impact on the spread of ideas in
Europe and beyond. Printing technology traveled quickly across Europe and, at a
time of great religious change, played a key role in the success of the
Protestant Reformation.
訳:ヨハネス・グーテンベルグが1448年になした活版印刷の発明は、ヨーロッパからさらに世界に大きな影響を与えた。印刷技術がヨーロッパ中に拡散したことは、宗教改革の成功の大きな要因の一つとなったのだ。
(Classroomより)
2017年3月6日月曜日
ドナルド・トランプの大統領就任演説
The theme of President Donald Trump’s inaugural address was
the return of power to “the people” ━the forgotten Americans, the victims
of “American carnage. ”It harkened back to his campaign, when Trump presented himself
as a populist who eschewed traditional conservative-liberal orthodoxies.
ドナルド・トランプの大統領就任演説は、忘れさられ、虐げられたアメリカの人々、そんな被害者のままであった「国民」に政治を取り戻すというものだった。その主張をよく聞けば、彼は自分自身を伝統的な奔流ともいえる中道保守を横に追いやるポピュリストとして自らを位置付けているのだ(Atlanticより)
2017年2月28日火曜日
自分の意思を明快に伝えられない日本人の苦しみとは!?
I can’t help you !
この一言が、今でも私の心に響いています。
といっても、これはちょっと恥ずかしいようなユーモラスな、同時に深刻な話です。
インドのムンバイでのことです。
その日、前日食べたものが悪かったのか、朝になって食あたりの症状に悩まされたのです。
しかもその日は休日でもあり、アメリカから来た仕事仲間で友人の夫婦とムンバイの街を観光する予定でした。
彼らとは朝9時にホテルのロビーでの待ち合わせでした。
そこで、彼らと出会ったときに、「実はお腹の調子が悪いんだよ」と英語で症状を訴えました。そのときに友人が発した一言が、I can’t help you !「僕は何もできないよ」でした。
一瞬、「なんだよ。思いやりのない」と思った私ですが、その後でやれやれと自省したのです。私は体調が悪いためか、アメリカ人との英語でのコミュニケーションの基本を忘れていたのです。
日本では、「お腹の調子が悪いんです」といえば、「大丈夫ですか?無理をなさらないで」とか、「それは大変だ。ゆっくり休んでください。お医者さんを呼びましょうか?」などといった答えが返ってくるはずです。
しかし、これは日本人ならではといってもいい、婉曲な表現なのです。
欧米では、自らの意思を明快に伝えない限り、相手にはその意図は通じないのです。
つまり、「お腹をこわしているんだよ」というのではなく、「今日は一緒に観光はできないよ。お腹をこわしているんだ」と、何をしたいか具体的に表明する必要があったのです。
それは、「阿吽の呼吸」という日本人特有のコミュニケーションスタイルがもたらず行き違いでした。
しかも、アメリカ人夫婦は、友人ではあるものの、ビジネス上では先輩にあたる大切な人でした。そのため、私にははっきりと予定に参加することを断ることをためらう「遠慮モード」まではたらきました。
結局、ずるずると一緒に観光をすることになり、立ち寄った場所場所でトイレにこもりっきりという、みっともなくも悪夢のような半日となったのです。人生最悪の1日というわけです。
その日の午後からはさすがにダウン。
熱もでたので、ホテルの部屋にこもって、予防のためにもってきた抗生物質を飲みながら24時間うなっていました。
二日後、症状もなんとか落ち着いたので、夫婦と夕食の時間に一緒になり、私はさすがに軽めの食事。幸いそれを境に嵐のような体調不良をなんとか克服できたというわけです。
遠慮や婉曲。これは日本人の思わぬ落とし穴です。
まして、体調が悪いのだから、「お腹の調子が」と一言いえば、通じるだろう、わかってくれよと思っても、それは日本人だけに通じる常識なのです。
しかも、英語で会話をしているわけですから、相手はこちらもアメリカ流のコミュニケーションスタイルで語っているものと誤解します。
自らの意思やニーズはちゃんと遠慮なく、かつ具体的に表明すること。
そんなにはっきりと言ってもいいのかなと思わず、そこまでと感じるほどに明快に話して初めて意思が通じるのだということを、再確認させられたインドの旅でした。
そして、明快に話しても相手は失礼だとか、横着だとかは決して思わないどころか、曖昧に話したほうが、何を考えているんだという不信感につながることを、ここで、改めて強調したいと思います。
2017年2月21日火曜日
トランプが話題なる理由。Multiple citizenshipの洗礼を受けるアメリカ社会
【ニュース】
Multiple citizenship, is a person's citizenship status, in which a person is concurrently regarded
as a citizen of more than one state under the laws of those states.
【訳】多重国籍multiple citizenshipは、複数の国家の法律のもとで、複数の国籍を同時に持つ人々のことを指している(Wikipediaより)
【解説】
アメリカのアイデンティティとはそもそも何でしょうか。
よく、アメリカは移民の国といいます。しかし、ただアメリカは人種のるつぼmelting
potで、そこでの多様性こそがアメリカのアイデンティティだとして片付ければ、それは大きな誤解を導きます。
まず、19世紀以前のことを考えます。飛行機も、高速で航行する船もなかった時代、海を渡ってアメリカにやってくることは、生まれ故郷と訣別する覚悟が必要でした。
新大陸に着いた以上、好むと好まざるとに関わらず、そこで生活を切り開かなければならかったのです。
従って、人々はアメリカ人になること、つまり独立戦争以来アメリカが掲げてきた理念を見つめ、そこでの生活の基盤を造らなければならなかったのです。
その象徴が星条旗であり、ニューヨーク湾にあって海を渡ってきた人々を見つめていた自由の女神だったのです。
少なくとも、アメリカに来れば、宗教的な迫害や身分の差による苦役に見舞われることなく、自分の生活を自分の意思でコントロールできました。もちろん、そこは腕力と才覚次第の厳しい競争社会で、人種同士の対立や騒乱に見舞われることもありました。良きにしろ悪しきにしろ、そこは個人の運と意思以外に頼ることができない世界でした。それがアメリカの「自由」だったのです。
そしてそんな自由を保障していた制度はといえば、そのルーツはイギリスの議会制度にありました。17世紀にイギリスは2度の革命を経験しています。いわゆる清教徒革命と名誉革命です。この2つの革命を通して、それまでの王が絶対的な権力を行使していた政治制度を改革し、市民が運営する議会と、議会が選ぶ内閣が国をリードするようになりました。
アメリカでは、イギリスで培われた民主主義のビジョンを、新大陸の実情に合わせて深化させたのです。まず、個々の移民が、それぞれの事情やニーズによって入植した経緯から、それぞれの地域の自治を最大限に尊重し、それを統一する連邦政府は国家として必要な最小限の権限を持つように、分権主義の道を追いかけます。
その上で、国家が分断されないように、アメリカとしての意識の象徴として星条旗がそして、そのビジョンをリードする選挙で選ばれる大統領が必要とされたのです。
ですから、アメリカ人は、国旗に我々が思う以上の愛着を持っています。そして、大統領の演説を聞きながら、自らのアイデンティティを確認します。
ところが、20世紀も後半になって交通と通信が発達すると、アメリカにもう一つの移民グループが押し寄せます。新移民New Immigrantと呼ばれる人々です。彼らにも以前の移民と同様に、アメリカにやってくるには経済的な理由や政治的な動機がありました。しかし、大きな違いは、多くの人々が故国を捨てる必要がないということです。輸送手段の進化によって、故国の風俗習慣をそのまま維持することも可能で、極端にいうなら英語が話せなくてもアメリカで生活してゆくことができるようになったのです。
こうして、アメリカの社会には故国とアメリカとの二つのアイデンティティの間を振り子のように往復する人々が多数を占めるようになったのです。
この振り子がぶれたとき、アメリカにいながら、反アメリカを自らの動機にする社会的な分断現象が発生し、その極端な作用がテロリズムなどの活動にもつながっていったのです。
表題にある、多国籍multiple citizenshipの概念はあくまでも法的なものですが、例えアメリカに帰化したとしても、精神的に多国籍である人々の洗礼を、アメリカ社会が受けているのです。
今、アメリカ人は従来のアメリカのビジョンを、こうした新しい社会にどのように適応させるかというテーマの中で戸惑い、苦しんでいるのです。これが、80年代以降、アメリカで繰り返し語られてきた多様性をどう受け入れるかという課題なのです。
アメリカは移民国家であれば、多様性はアメリカの大切な遺伝子です。しかし、その遺伝子は、もともとあったアメリカのビジョンとのシナジーsynergyがあってこそ進化できるのです。
このシナジーの創造があまりにも多難であるために、途切れることなく流入する移民によって変わる社会の中で、アメリカが消化不良を起こしているのです。
この消化不良を速攻で解決しようと、トランプ政権が誕生しました。しかし、多くの人は、まさに消化不良を市販の胃薬を乱用するように改善することができるのか疑問に思い、危険なチャレンジだと思います。それが、トランプの政策に反対する人々の動機となっているのです。
本来のアメリカのビジョンを見直すことと、トランプ大統領の唱える「アメリカ・ファースト」という政策の間にある違和感が、アメリカ社会を包んでいるのです。
50年代に活躍したエリアカザンという監督の映画に「アメリカ、アメリカ」という名画があります。そこに描かれている古典的な移民の物語をみるとき、その映画の主人公と同様の経験をしてきた人々とその子孫が、星条旗を理想とするアメリカのビジョンを創ってきた人々であることがわかります。
そんなノスタルジックなアメリカから、新しいアメリカにどのように脱皮できるか、アメリカ社会は左右に揺れながら、その試練の中でもがいているのです。
2017年2月14日火曜日
英語教育が本当に変わるためには!?
English education in Japan isn’t working. It’s
just awful. The Japanese teacher of English often teach all the grammar in Japanese,
and check that the students can follow the textbook by translating the English into
Japanese. Assistant Language Teachers (native speakers) are regulated to human tape recorders, and then set free to roam the class and “help” the students.
Of all the hours of English education, how many of those hours were spent actually
listening to and speaking English?
【訳】日本の英語教育はおかしい。ひどいものだ。日本人の英語教師は日本語で文法を教え、教科書を英語から日本語に翻訳するように指導する。そして外国人教師はアシスタントとして人間テープレコーダーに徹し、教室を歩き回り補佐する。聞いたり話したりすることにどれだけ時間が費やされていることやら
(Japan Today より)
【解説】
我々は歴史を学ぶ時、世の中が大きく変化したときのことをさも当然のように捉えています。でもその時代の中にいるとき、人間はその先に何がおこるか予測することは困難です。
例えば、第一次世界大戦が終わったとき、その20年後にもっと規模の大きな世界大戦がおこることを予測できた人は少ないはずです。
それどころか多くの人は、ほんの数ヶ月後に世の中が大きく変化することですら実感できないのです。よく知られた事例でいうなら、明治維新の引き金になった、大政奉還が行われたとき、庶民の殆どは、徳川家が歴史の表舞台から消えてゆくことを予測できずにいたといいます。ですから、武士のほとんどは、自分たちの身分はその後もずっと安定していると思っていたのです。
こんなことをなんで書いているかというと、あとほんの数年で、今行われている英語教育が全く無意味なものになることを、実感している人が余りにも少ないからです。今英語教育に携わっている教育者の多くが、明治維新前の武士の存在であることをどれだけ実感しているのでしょうか。
日本の英語教育が失敗だということは、相当前から議論されてきました。受験勉強であれだけ英語を勉強しても、喋れない、コミュニケーションができないという人が圧倒的に多いことが、その問題の深刻さを証明しています。
だから、国際的な競争力を維持するためにも、政府もやっと重い腰をあげて英語教育改革に乗り出しているわけです。
今の日本の英語教育は、一部の専門家のためのガラパゴス教育です。大学受験の問題や、そのための模擬試験をつくることだけを専門にしている人たちの権益が、そんなガラパゴスの堅固な牙城を維持してきました。
しかし、そうした人たちが、あと数年で文明開化に取り残された「さむらい」になるというわけです。また、そうなってもらわないと、日本は本当に世界から置いてきぼりにされてしまいます。
ただ、一つ恐れていることがあります。それは、長年日本独特の学習方法に慣らされている日本人が、本当に改革を断行できるのかという恐れです。コミュニケーション力や会話力、そして発話力を育成しなければという名の下に、新しいガラパゴスを作るのではないかと危惧するのです。
そうしないためには、今の英語教育を徹底的に破壊しなければなりません。明治維新や第二次世界大戦後の政治改革の時のように、それまでの発想や常識を壊さないかぎり、国際社会に対応するコミュニケーション力は養えないのです。
まず、正解を求めるという発想を捨てることです。正解を求めるのではなく、対話を通して相手といかに妥協したり合意したりするかという能力を養う必要があるのです。また、いかに自分の意思を相手に伝え、相手の発想を取り入れ、そこから相乗効果
synergy を生み出す能力を養うかということが大切なのです。
一つの正解を選ぶのではなく、正解を人とのコミュニケーションを通して模索するノウハウを磨く必要があるのです。
完璧を求める必要もないのです。例え文法上の過ちがあったとしても、それにこだわるよりも、相手に通じる英語を模索し、相手と話し合う英語力を養うことが求められるのです。我々がカジュアルに日本語で会話をしているとき、誰が文法に正確な書き言葉のような日本語を喋っているかを考えれば、人とのコミュニケーションに文章上の完璧さがそう必要ではないことは容易に理解できるはずです。
まず、相手と話ができるようにならなければなりません。その上で、より洗練された作文力や言葉を操る能力を磨くために、文法や発音のチェックが必要になるわけです。今までの学習方法とはその順序が全く逆にならなければ、活きた語学学習はできないのです。
時代が変わるときには、それまでの利害や常識にとらわれない第三者が変革の旗手になることが必要です。英語改革でいうならば、その第三者とは、日本の事情を知らない海外の話者かもしれません。海外の人に直接挑み、会話をし、試行錯誤の中から本当のコミュニケーション力を養うことができれば、日本の英語教育改革も本物の改革へと進化できるはずです。
武士を残さず、武家社会を維持してきた制度や常識を覆すことと同じことが、英語教育の世界でできるかどうか。これは日本の将来の競争力を左右する重要な選択なのです。
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