2017年11月14日火曜日
歴史の重みに悩む社会の世直しに強権は必要か
【ニュース】
A Philippine President had an approval rate of just 48% -- the first time his popularity has dipped below 50% during his 16 – month presidency.
訳:フィリピンの大統領の支持率は48パーセントと、就任後16ヶ月にしてはじめて50%を割り込んだ(CNNより)
【解説】
今回は、先週解説したサウジアラビアでの改革の旋風を思い出しながら、フィリピンの現状を考えてみます。
というのも、フィリピンにもサウジアラビアにも共通していることは、長年の汚職や不公正に対して、強いリーダーによる強権政治が必要かどうかの是非が問われているからです。サウジアラビアは、皇太子モハメッド・ビン・サルマンに権力が集中する中で、王家も含む伏魔殿にメスがはいろうとしています。そして、フィリピンでは、逆らう者を射殺してでも麻薬と賄賂を撲滅するとしたドュテルテ大統領が話題になって、すでに1年以上が経過しています。
「フィリピンの人の顔をみるとね、いろいろなルーツがあることがわかるんです」ルソン島の中部にある町を仕事で訪れたとき、現地の友人がそうかたってくれました。
私の前に座る5人のフィリピン人。彼らの顔をみると、確かにそれぞれ異なったルーツがあることが確認できます。ヨーロッパ系、アメリカ系、中国や日本系などなど、多様な民族の血がそこに流れているのです。
まず、フィリピンは16世紀にスペイン領になっています。ですから、今でも町や通りの名前などにその名残があるだけでなく、彼らがローカルに話す様々な言語の中にもスペイン語が混ざり込んだりしています。
そして、1898年にアメリカとスペインが戦争をしました。その戦争にアメリカが勝利した結果、アメリカはスペインからフィリピンを譲渡されます。アメリカの植民地となったことが、フィリピン人が他の地域より英語に堪能になった原因となりました。また、フィリピンが近代法を導入するときなどに、アメリカの法律が参考にされました。
そして、1941年のこと、アメリカと日本が戦争になると、フィリピンは激しい戦場になりました。スペインやアメリカ領の時代にも、現地のフィリピン人への差別や虐待は多くありました。独立運動もおき、その犠牲になったフィリピンの人も多くいました。そして残念なことに、フィリピン人に対する対応は、日本が数年間フリピンを占領したときも同様でした。日本の占領政策に不満を持った多くのフィリピン人が、アメリカが日本に反撃し、フィリピンに再上陸したときに、アメリカ側に協力しました。その結果、密林の中で、飢えや疫病で数えきれない日本兵が命を落とし、戦後になっても戦犯として裁きを受けたことはよく知られています。
戦後にフィリピンは独立しますが、貧困や政変が続き、国は荒廃します。そして多くのフィリピン人が家政婦などになって海外で働きました。
この経緯から、フィリピン人にはスペイン、アメリカ、そして日本や中国の血の混じった人が多くいるのです。
フィリピンの学校ではもちろん、こうした過去の悲劇について教えています。日本人が忘れている日本軍の占領時におきたことも教わっています。不思議と彼らはそのことを公の話題にはしません。でも、彼らに深く聞けば、歴史の授業で日本のことをどのように勉強したかがわかってきます。
そんなフィリピンが独立以来悩み続けてきた社会の混乱。特に蔓延するドラッグと賄賂を一挙に撲滅しようと、強硬策を実施したのがドュテルテ大統領でした。しかし彼の人気に今陰りがでているといわれます。裁判なしで、警察がどんどん容疑者を射殺し、刑務所に送り込んだことが、人権侵害と三権分立の原則に反すると攻撃されているのです。ある人によれば、スペインの占領政策の影響で、フィリピンには多くのカトリック信者がいることも大統領の人気の陰りの原因であるといいます。教会が大統領が麻薬撲滅政策の中で、人命を軽視した改革を断行していると批判しているからです。
長い歴史の重圧を克服し、国家を成長させることは並大抵のことではありません。フィリピンに限らず、中東やアフリカなど、近世から現代にかけて植民地として収奪された地域の多くが、その影響から抜け出し社会を発展させることができず、今でも政情不安や貧困に悩んでいることはいうまでもありません。
先週紹介したサウジアラビアのように、そうしたジレンマを解決するためには強権的な改革も必要なのかもしれません。そして、サウジアラビアでのニュースが流れたとき、真っ先に思い出したのが、ドュテルテ大統領の政策でした。サウジアラビアの場合も、女性に対する不公平など、様々な社会問題を解決するときに、つねに課題となったのが、イマームと呼ばれる宗教的な権威による抵抗でした。
フィリピンの場合、人権問題という課題を克服しながら、教会や司法との対立を乗り越えて改革を続行できるか、今大統領の手腕が問われているのです。
国が未来に向けて過去の汚泥を捨て去るとき、どこまで強権を行使できるのか。あるいはどこまで強いリーダーシップが許されるのか。
サウジアラビアとフィリピンのケースが、世界から注目されているのです。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿