2017年2月14日火曜日

英語教育が本当に変わるためには!?



English education in Japan isn’t working. It’s just awful. The Japanese teacher of English often teach all the grammar in Japanese, and check that the students can follow the textbook by translating the English into Japanese. Assistant Language Teachers native speakers are regulated to human tape recorders, and then set free to roam the class and “help” the students. Of all the hours of English education, how many of those hours were spent actually listening to and speaking English? 
【訳】日本の英語教育はおかしい。ひどいものだ。日本人の英語教師は日本語で文法を教え、教科書を英語から日本語に翻訳するように指導する。そして外国人教師はアシスタントとして人間テープレコーダーに徹し、教室を歩き回り補佐する。聞いたり話したりすることにどれだけ時間が費やされていることやら
Japan Today より)

【解説】
我々は歴史を学ぶ時、世の中が大きく変化したときのことをさも当然のように捉えています。でもその時代の中にいるとき、人間はその先に何がおこるか予測することは困難です。
例えば、第一次世界大戦が終わったとき、その20年後にもっと規模の大きな世界大戦がおこることを予測できた人は少ないはずです。
それどころか多くの人は、ほんの数ヶ月後に世の中が大きく変化することですら実感できないのです。よく知られた事例でいうなら、明治維新の引き金になった、大政奉還が行われたとき、庶民の殆どは、徳川家が歴史の表舞台から消えてゆくことを予測できずにいたといいます。ですから、武士のほとんどは、自分たちの身分はその後もずっと安定していると思っていたのです。

こんなことをなんで書いているかというと、あとほんの数年で、今行われている英語教育が全く無意味なものになることを、実感している人が余りにも少ないからです。今英語教育に携わっている教育者の多くが、明治維新前の武士の存在であることをどれだけ実感しているのでしょうか。
日本の英語教育が失敗だということは、相当前から議論されてきました。受験勉強であれだけ英語を勉強しても、喋れない、コミュニケーションができないという人が圧倒的に多いことが、その問題の深刻さを証明しています。

だから、国際的な競争力を維持するためにも、政府もやっと重い腰をあげて英語教育改革に乗り出しているわけです。
今の日本の英語教育は、一部の専門家のためのガラパゴス教育です。大学受験の問題や、そのための模擬試験をつくることだけを専門にしている人たちの権益が、そんなガラパゴスの堅固な牙城を維持してきました。
しかし、そうした人たちが、あと数年で文明開化に取り残された「さむらい」になるというわけです。また、そうなってもらわないと、日本は本当に世界から置いてきぼりにされてしまいます。

ただ、一つ恐れていることがあります。それは、長年日本独特の学習方法に慣らされている日本人が、本当に改革を断行できるのかという恐れです。コミュニケーション力や会話力、そして発話力を育成しなければという名の下に、新しいガラパゴスを作るのではないかと危惧するのです。
そうしないためには、今の英語教育を徹底的に破壊しなければなりません。明治維新や第二次世界大戦後の政治改革の時のように、それまでの発想や常識を壊さないかぎり、国際社会に対応するコミュニケーション力は養えないのです。

まず、正解を求めるという発想を捨てることです。正解を求めるのではなく、対話を通して相手といかに妥協したり合意したりするかという能力を養う必要があるのです。また、いかに自分の意思を相手に伝え、相手の発想を取り入れ、そこから相乗効果 synergy を生み出す能力を養うかということが大切なのです。
一つの正解を選ぶのではなく、正解を人とのコミュニケーションを通して模索するノウハウを磨く必要があるのです。

完璧を求める必要もないのです。例え文法上の過ちがあったとしても、それにこだわるよりも、相手に通じる英語を模索し、相手と話し合う英語力を養うことが求められるのです。我々がカジュアルに日本語で会話をしているとき、誰が文法に正確な書き言葉のような日本語を喋っているかを考えれば、人とのコミュニケーションに文章上の完璧さがそう必要ではないことは容易に理解できるはずです。

まず、相手と話ができるようにならなければなりません。その上で、より洗練された作文力や言葉を操る能力を磨くために、文法や発音のチェックが必要になるわけです。今までの学習方法とはその順序が全く逆にならなければ、活きた語学学習はできないのです。

時代が変わるときには、それまでの利害や常識にとらわれない第三者が変革の旗手になることが必要です。英語改革でいうならば、その第三者とは、日本の事情を知らない海外の話者かもしれません。海外の人に直接挑み、会話をし、試行錯誤の中から本当のコミュニケーション力を養うことができれば、日本の英語教育改革も本物の改革へと進化できるはずです。
武士を残さず、武家社会を維持してきた制度や常識を覆すことと同じことが、英語教育の世界でできるかどうか。これは日本の将来の競争力を左右する重要な選択なのです。


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