2019年6月10日月曜日
ワシントンでの国際会議の裏側を垣間見て
【ニュース】
I have just authorized a doubling of Tariffs on Steel and Aluminum with respect to Turkey as their currency, the Turkish Lira, slides rapidly downward against our very strong Dollar!
訳:私はトルコからの鉄鋼、アルミニウムの輸入に対してトルコリラを基軸に関税を2倍にした。これで我々の強力なドルの前に、リラは価値が下がってゆくだろう!
(トランプ大統領のTweeter 2018年8月10日付より)
【解説】
先月末から今月にかけ、アメリカのオンライン英語検定試験 iTEP を主催する iTEP International社の(iTEP は留学や英語でのビジネス能力試験等、様々な用途に使用れる試験を運営する)の世界大会に出席しました。今年はワシントンDCで開催され、久しぶりのアメリカの首都の訪問となりました。
会議では私を含め、世界中でこのテストを取り扱う国の会社の代表が、自らの地域での販売活動報告を行います。
中にトルコのディストリビュータのサラーという経営者がいました。彼の会社はトルコの格安航空会社などとのコネクションが強く、売り上げを急速に伸ばしていることで注目されているのです。しかし、去年は彼にとって大変な年でした。アメリカドルに対してトルコ通貨リラが大きく暴落 devaluation したのです。アメリカとの政治的緊張、イスラム色の強いエルドアン大統領の強権政治に対する懸念などへの警戒感などがその原因でした。
サラーは、その逆風の中で iTEP International と交渉し、支払いを調整しながら、現地での強いコネクションをフル稼働させてビジネス英語能力テストの販売を伸ばしたのです。この努力と成果には会場の人々も賞賛の拍手を送りました。
彼はクルド系トルコ人です。
クルド人といえば、イラクやトルコに居住し、イスラム教徒ではありながら、その強い民族意識からしばしば迫害や差別の対象になってきたことはよく知られています。そして、トルコ政府はクルド人の民族運動をテロ行為として抑圧します。対してアメリカは、イラク戦争などを通してクルド人に武器を供与するなど支援を続けていました。以来、クルド人問題は、アメリカとトルコとの溝を深めるいくつかの重要な課題の一つとなったのです。
ワシントンに、デュポンサークル Dupont Circle という大きな交差点にあるクレイマーブックス Kramerbooks & Afterwards Café というカフェがあり、私は同地を訪れるたびにそこを訪問します。Facebook にもそこで出会った一つの書籍をアップしました。同店は今でもワシントンの政界の大物も立ち寄る有名な書店で、併設されているカフェやバーには、ロビーを行う人々も多く集います。
この書店と同様に、例えば有名ホテルの会員専用のラウンジなど、ワシントンDCでは様々な場所がそうした政治的な打ち合わせに使用されています。ワシントンDCで活動する人々は、政治家、企業家、そしてジャーナリストや評論家などの多くがなんらかの政治的利害の糸につながっているといわれているほど、ロビーングや情報収拾の場所がこの街のあちこちにあるのです。
実は、そんなロビー団体の中でも有名なのが、トルコにあってクルド人と同居してきたアルメニア系ロビーイストの団体なのです。さて、サリーを見舞った苦境を説明するたえに、ここでアルメニア人について解説します。
アララト山はトルコの東の端、隣国アルメニア共和国にも近い高地にそびえる名山です。雪をかぶる壮麗な山は、その昔旧約聖書に書かれたノアの箱船が漂着した場所ではないかともいわれています。
そんな場所がアルメニア系アメリカ人の故郷です。そしてこの地域にはクルド人も多く居住しています。
アルメニアの人々の多くは、アルメニア使徒教会 Armenian Apostolic Church というキリスト教を信奉しています。このルーツはアルメニア人がローマ帝国とパルチアやその後のササン朝ペルシャといった東方の強国に挟まれながらかろうじて独立を保っていたキリストが活躍していた時代にさかのぼります。紀元301年には、アルメニア王国はキリスト教を国教にします。それは、世界で初めてのできごとでした。その後ローマ帝国でもキリスト教が国教となり、何度かの宗教会議を経て、キリスト教がローマの国教として体裁を整えてゆく中で、アルメニア使徒教会はローマには従わず、独自の信仰を維持しました。
その後、トルコ系の勢力が拡大し、イスラム教が浸透する中で、アルメニア人もそんな歴史の波に飲み込まれます。しかし、彼らは当時のイスラム教最大の国家トルコの支配下にあっても自らの文化と宗教を維持します。特にオスマントルコ末期には、民族運動による軋轢から強制移住や虐殺といった弾圧を受け、第一次世界大戦の時期には多くのアルメニア人がトルコを追われます。その多くが移民としてアメリカに流れてきたのです。
現在、アメリカのアルメニア系の人々は特にカリフォルニアに多く、経済的にもしっかりとした基盤をもっているといわれています。そんなアルメニア人にとって故郷のシンボルとして慕われているのがアララト山なのです。
そんな歴史的背景もあって、アメリカに居住するアルメニア系アメリカ人はトルコに強い警戒感を抱いています。アメリカ・アルメニアン会議 Armenian Assembly of America などを組織し、トルコへの経済制裁 Economic sanction を求めるロビー団体として活動しています。
実は、彼らのロビー活動はイスラエルの活動と比較されるほど強力で、アメリカの中でも最も強い移民団体の一つとして注目されているのです。
実際、トルコへのアメリカ政府の制裁は、アメリカのアラブ社会への警戒感と、アメリカの保守系政権が伝統的に維持しているイスラエル支援とは同根無縁で、トルコのエルドアン大統領が、イスラム色の政策を強め、クルド人問題などを通して反米色を強めると、両国の関係が一触即発の緊張関係へと悪化してしまったのです。両国ともお互いの輸入品への関税 tariff を引き上げ、経済戦争にも突入しています。それが今回のリラの暴落の直接の原因でした。クルド人とその隣人アルメニア人、そしてイスラム教国トルコとトランプ政権の利害と確執が、100年以上くすぶってきた移民問題を発火させたのです。アメリカの政策変更の背景にあるこうした複雑な状況は、なかなか日本には報道されません。
そもそもトルコはNATOの重要な加盟国で、中東の大国です。伝統的にロシアの南下政策に危機感を持つトルコは、アメリカの友好国だったのです。
我々は、ともすればアメリカと中国との経済戦争に目を向けるあまり、そんなトルコの最近の急激なアメリカ離れに対して鈍感です。しかし、中東やヨーロッパでは、これは大きな政治問題であり、経済問題となっているのです。今回、第二次世界大戦でのアメリカを中心とした対独戦線でのノルマンジー上陸75年を記念した式典に集まった、トランプ大統領やイギリスなどの関係者、今後開催されるG20に集まる首脳の頭には、トルコの課題が渦巻いているはずです。
クルド系の経営者サッラーが、そんなアメリカとトルコとの経済戦争のあおりを受け、アメリカの商品の販売に苦戦し、それを必死で乗り越えようとアメリカの政治の中心であるワシントンDCでの国際会議にやってきているのです。
そして、ワシントンでの人々のネットワークの糸をうまくたぐり利用するものが、世界での外交でのアドバンテッジをとれるわけです。
クレイマーブックスは早朝から深夜まで営業しています。そして、アメリカ外交の蜘蛛の糸に関係する人々にも利用されながら、書店経営斜陽の今にあっても、しっかりと経営を続けているのです。
2019年3月24日日曜日
新しい組織と個人のあり方を求めて
【ニュース】
New technology will not necessarily replace old technology, but it will date it.
訳:新しい技術が古い技術にとってかわる必然性はない。ただ、古い技術がそのまま古くなるだけのことだ(Steve Jobs)
【解説】
グーグルが新しいインタラクティブなゲームのサービスを開始するというアナウンスは、任天堂やソニーといった、ゲーム機器を販売している企業に大きな衝撃を与えました。
今、世の中は、パソコン、あるいは手にとって移動できる iPhone のような端末と、インターネットで稼働するソフトウエアがあれば、ほとんど全ての情報や学習、そして娯楽が楽しめるようになろうとしています。これによって失われ、時代遅れになる機器やサービスが、これから先10年の間にどんどん増えてくるのではといわれています。
この現象を日本の将来に当てはめたとき、「ものづくり」という言葉に依存しすぎてきた日本人のおごりが日本の凋落の原因となるのではと危惧する人も多いはずです。
以前、日本の自動車業界を見舞うことになりそうなリスクについて触れたことがありました。そこでも解説したように、日本の多くの企業はいまだに組織という縦社会のピラミッドを大切にしすぎ、横のネットワークをグローバルに広げることに長けていないのです。もっといえばグローバルなサイズで人材を育成するノウハウに劣っているといえましょう。
そこで、今回は、そうしたノウハウを育成するために、海外のビジネスの現場ではどのような行動が求められているかをまとめてみたく思います。
全てのビジネスはそれが大きな組織であろうと、個人企業であろうと、「ひらめき」からはじまります。要はこのひらめきを組織がつぶさず、「ひらめき」を促進し、さらにそこから新たな機能のネットワークを構築することが必要なのです。
欧米流の発想では「ひらめき」のあとのプロセスはおおまかに言えば以下のようになります。
ひらめき(Inspiration) → プラン二ング(Planning) → ビジョンの創造(Vision) → イニシアチブ(Initiative) → ネットワーキング(Networking) → 説得と議論(Presentation and brainstorm) → チームワークの蘇生(Creating teams) → 目標設定(Goal setting) → 異なる意見や発想(Counter opinions and ideas) → 顧客のニーズの査定(Customer needs assessment) → 試行錯誤(Trial and Error) → 調整(Adjustment) → 最終目標(Final Goal setting) → 完成(Completion) → イノベーション(innovation) → 新たなひらめき(New Inspiration) → さらなるネットワーキング(New networking) → 成長(Business development)
一見日本も同様に思えるかもしれませんが、このプロセスの中に散りばめられた発想法をみてゆくと、そこにいかに異なるビジネス文化が潜んでいるかがわかってきます。
そして、物事は最初の「ひらめき」よる事業の開始で求められる完成で終わりません。完成のあと、常に完成品の刷新が求められます。そのとき、再び新たなひらめきによって開発がはじまるのです。
グループ志向で、組織の構造を重んずる日本と異なり、海外ではより個人のイニシアチブが評価されます。そして個人が組織の縦に対してではなく、横のネットワーク、時には組織を超えたネットワークを通じて戦略を進化させてゆくことが求められます。
組織が「ひらめき」を促し、個人がいかにそれをプレゼンし、チームの組成を促し、チームの中でブレンストームを重ねながら、「ひらめき」を具体的な計画に進化させてゆくかが大切です。
日本の組織に欠けているのは Individual Initiative 「個人のイニシアチブ」を奨励し、育てることです。日本ではとかく「出る杭は打たれる」といわれますが、グローバルな競争に晒されて生き残るためには、まず、この「ひらめき」をいかに育ててゆくかという価値観が大切なのです。
日本の社会では、自らの発想や意見を直裁に発言することを忌諱する風習があります。しかし、世界中の人が寄り添う環境では、遠慮することなく自らの気持ちを述べ提案する行動が必要です。その時にはassertive、つまり堂々と自信をもった対応をしなければなりません。上下関係や横の関係に気をつかって引っ込み思案になってはいけないのです。
そして、Inspiration、つまり「ひらめき」を組織としての目標というvision「ビジョン」に高め、そこで生まれるリスクを検証するために立ち止まるのではなく、リスクを冒しながら、失敗から学び、常に前に進む迅速さとしたたかさが求められます。そのためには、失敗したら責任をとらなければならいという発想自体を変えなければなりません。
現在のリーダーに求められるのは、この個人の「ひらめき」をみんながshare「共有」し、その「ひらめき」の向こうにある大きな「貢献」、そして「あるべき姿」をvision「ビジョン」として皆の心の中にいだけるよう、情報を共有してゆくファシリテーション力、ネットワーク力なのです。そして失敗を責めず、責任を追及することに終始せず、むしろ失敗を奨励し、そこから学べる環境を整えることなのです。
グローバルな環境では、様々な人が世界中から集まり共同作業を行います。このときに、お互いのdifference「違い」を尊重し、その様々な異なる発想や考え方が集合できるdiversity「多様性」を受け入れ、そうした環境を積極的に創造しなければネットワーキングは成り立ちません。常に日本ばかりに目を向け、他者を排除してはいけないのです。
ありとあらゆるビジネスにおいて、世界からプレイヤーが参入し、競争はますます激しくなってきています。
ここに挙げたグローバルでのビジネスの基本に加え、迅速にadvantage「有利な状況」を獲得し、他者より少しでも先により新しい製品やサービスを提供することが、我々に今求められています。ソニーや任天堂を見舞った衝撃は人ごとではありません。日本の産業界全体が取り組まなければならない喫緊の課題を突きつけられているのです。
2019年1月29日火曜日
ゴーン氏事件によってあらわになった日本の司法制度の課題とは
【ニュース】
The Carlos Ghosn case is putting Japan's system of 'hostage justice' under scrutiny
訳: カルロス・ゴーンのケースは日本の「人質型司法」の是非を問いかけている
(CNNより)
日本の司法制度に今海外の厳しい目が向けられています。
例のカルロス・ゴーン氏のケースで、彼の勾留が次々と延長されている状況が世界で報道され、注目されているのです。
実は、日本の司法制度は戦前からの規定がそのまま生きているものも多く、硬直し変化することができない日本の制度の代表といっても差し支えありません。
英語でDeath and taxesという言葉があります。これは、死と納税は人間である以上逃れられない2つの宿命であるとして、税金を納める義務の厳しさを表したイディオムです。
ですから、所得を過少報告し、さらに背任容疑にも問われているゴーン氏の置かれている立場が厳しいものであることは、日本のみならず海外においても異論はありません。
しかし、日本の場合、検察や税務署の旧態依然とした一方的な取り調べかたがあまりにも異常であると指摘されているのです。
日本では、弁護士であっても、税務署と争うことを嫌います。また、検察の取り調べに対して弁護士が被告を代理し立ち会ったりすることは許されません。
その結果、被告は一方的に独房に閉じ込められ、長期間の厳しい取り調べに耐えなければならないのです。
ここで、冷静に考えてみたいことがあります。
憲法でも保障されているように、民主主義国家では人を非公開な環境で裁くことは禁止されています。同様に、被告人には黙秘権もあれば弁護士を立てて争う権利も与えられているのです。当然被告人は裁判で有罪とされるまでは罪人ではありません。被告人はあくまでも被疑者であって、罪をおかした疑いをかけられているに過ぎないのです。
従って、裁判に至る過程を含め、裁判所での判決が降りるまで、被告人は自らの罪が冤罪であること、あるいは軽微なものであることを証明する権利があるわけです。
アムネスティを含む海外の専門家、ジャーナリストが指摘したいのは、日本で被疑者を一方的に長期間拘束する制度がまかり通っていることが、この民主主義国家の原則に大きく逸脱しているのではということなのです。
その結果、日本では検察が起訴したケースの99.9パーセントに有罪判決がおりているという驚異的な統計が指摘されるのです。これは基本的人権が保障され、報道や言論の自由が認められている他の主要先進国と比べると5%から15%も高い数字です。
それだけ警察や検察官が緻密に捜査をしているからだという主張はあるかもしれません。しかし。逆にいえば、その緻密さと同様の時間と労力をかけて被告が自らにかけられている疑いに対して潔白を示す機会が与えられているのだろうかという疑問が投げかけられるのです。
そして、被疑者が証拠を隠滅しないために留置するのであれば、被疑者が自由を奪われている間に検察官や税務官が自らに有利な証拠を捏造しない保障はどこに与えられているのでしょうか。
このことから、CNNは日本の検察の取り調べをhostage justice、つまり人質として取り調べる司法制度と皮肉っているのです。
今回、ゴーン氏は何度も保釈を請求したものの、最終的には彼がいまだに影響力があり、証拠を隠滅する可能性があることを理由に裁判所は保釈請求を却下しています。
彼の息子によれば、ゴーン氏は勾留によって10キロ近く体重が減っていると指摘しています。
CNNはこのケースを取り上げるにあたって、2014年にビットコインのスキャンダルで、会社の資金を不正に流用した疑いで11ヶ月半勾留されたマルク・カルプレス氏にインタビューしています。
彼によれば、日本での勾留は、単なる留置ではなく、すでに刑罰を受けているに等しい環境であると述懐し、その過酷さについて厳しく指摘しています。彼は、拘置所の中の狭く劣悪な環境で、毎日長時間取り調べを受け、協力するよう迫られた模様を証言しているのです。カルプレス氏は拘留中に34.9キロも体重が減り、窓のない小さな畳の部屋に勾留され、規則を守るよう看守より厳しい指導や強制を受け、違反すると両手を後ろ側に拘束され、椅子のないフロアの上に数時間放置されたこともあったと証言します。
カルプレス氏は最終的に保釈されますが、彼の裁判はまだ継続中で、今年の3月に陪審員による評決が予定されています。その手続きの長さと、その間実質上仕事も移動もできない状況におかれることも問題だと彼は訴えます。
ここでポイントを整理します。
拘置所は、刑が確定するまで被疑者を留置する場所です。
基本的には殺人事件のような重大な犯罪などを除けば、刑が確定するまでは、被疑者は保釈されることも多く、保釈にあたっては、保釈金を預けると共に、逃亡や証拠隠滅を図らないように様々な条件が設定されます。さらに大切なことは、拘置所は犯人を処罰するところではないのです。拘置所は刑務所ではありません。従って、看守による過度の拘束や侮辱、処罰などを受ける場所ではないわけです。
もちろん、金銭上のモラルの問題において、ゴーン氏やカルプレス氏に対して様々な指摘があることは当然でしょう。ただ、そのことと、司法や刑罰の制度とを混同してはまずいことを我々は冷静に考えるべきです。
それよりもなによりも、多くのメディアは、同じ制度に固執し、変化を嫌う日本の権力の構造を象徴したものとして、今回のケースを注視しているのです。
日本が本当に自由で民主的な国家なのか。今回の事件は皮肉にもゴーン氏が有罪かどうかということ以上に、こうした原点的なテーマを問いかけるケースとなってしまったのです。
2019年1月21日月曜日
台湾を知れば、戦後の隣国の複雑な国際環境がみえてくる
【ニュース】
Over the last few years China has made a series of ambitious military reforms and acquired new technology as it aims to improve its ability to fight regional conflicts over places like Taiwan.
訳:ここ数年間中国の本格的な軍事、軍事技術改革によって台湾など周辺地域での戦闘能力が改善されている(CNNより)
【解説】
台湾に出張しました。
台湾では、出版関係の人々と様々な書籍の企画について話し合いました。
彼らが一様にいうには、台湾の人は日本への興味が強く、一般的な日本紹介の書籍はすでに出尽くしているということでした。彼らが本当に求めているのは、よりニッチで深い日本の事柄なのです。
その上で、ある編集者が私に日本人の台湾への意識の低さを嘆いていました。台湾に観光に来る人は多いものの、台湾のおかれている本当の状況を理解しようと思う日本人は極めて少ないというのです。
台北の中心部に林森・康楽公園という市民の憩いの場があります。ここには日本の鳥居が二つたっています。これは戦前に日本が台湾を統治していた時代の第7代総督明石元二郎とその秘書官を葬ったときに建立されたものといわれています。そこには、この鳥居が歴史の記念碑として保存されている旨の案内板が置かれています。案内板には日本の統治時代への批判は一切触れていません。
台湾の人々のこうした日本への意識に触れるたびに思わされることが、この国のおかれている複雑な状況です。
韓国と同様、台湾は戦前日本が植民地にしていました。その後、中国で国共内戦の結果国民党政府が台湾に逃げ込み、中華民国の本拠地となったことは、歴史を勉強したことのある人であればおわかりかと思います。
しかし、それ以上台湾のことを詳しく知る人は日本には少ないようです。
もともと台湾には現地に昔から住んでいた人々がいました。こうした人々を台湾では本省人といいます。
そもそも台湾は中国の東にある自立した島でした。大航海時代にはオランダやスペインが拠点をおいたことがありました。
清朝になって、中国本土の主権が及ぶようになったものの、実質上組織的な統治が進められたのは日本が日清戦争の後に台湾を植民地にしてからのことでした。
そして、日本が戦争に負けたあと、台湾を引き継いだ国民党が、中国本土からやってきた新たな占領軍となったのです。
国民党政権は、台湾在住の人々を統治するにあたり強権を発動しますが、国民党内部の腐敗や横暴な統治に人々は反発し、大規模な暴動もおこります。国民党が本格的に統治をはじめる直前の1947年には有名な2.28事件という暴動がおこり、国民党政府が民衆に発砲、反政府活動をした者のみならず、数万人の本省人や残留日本人が殺害されたといわれています。
多くの本省人にとって、国民党は日本に変わって台湾にはいってきた侵略者だったわけです。中国本土が共産化され、台湾が国民党政権の下に中華民国として存続したあとも、外省人と呼ばれた中国本土からやってきた国民党関係者と本省人との対立は続きます。その結果中華民国政府は政権基盤を強めるために、長期間国民党による独裁政権を維持していました。その結果多くの血が流れました。その詳細はいまだに闇の中。日本でもほとんど知られていないのです。
その後、本格的な民主化運動がはじまり、総統が選挙で選ばれたのは1996年、李登輝政権のときでした。それは、反共の砦として冷戦の中で1987年まで民主化運動を封じ込めていた韓国と極めて似た経緯であったといえましょう。
ここで知っておきたいのは、台湾が自らの独立を保とうと主張するとき、それは中華人民共和国に対して独立を維持しようというのではなく、台湾が台湾として外省人が打ち立てた中華民国から独立しようという主張であることです。
台湾では、中華民国ではなく台湾としてのアイデンティティを維持し、その上で中華人民共和国が主張する一つの中国という発想からもしっかりと距離をおき自立しようという世論が強いのです。
しかし、一方で経済大国となった中国なしには台湾経済は成り立たないといわれています。それだけに、台湾の人はやっと獲得した民主化された台湾が中国に飲み込まれることには強い警戒感があるのです。
台湾の人の多くは、日本から独立し、中華民国からも独立し、かつ中華人民共和国からも侵略されずに台湾として独立したいのです。しかし、冷戦以来中国は台湾を宿敵の国民党の統治する国家としてみてきました。そして、台湾は中国の一部であると主張します。そのために、中国への配慮から国際政治の中では、台湾を国家として承認する国はほとんどなくなりました。ここに、台湾の本省人のやりきれない思いがあるのです。
人口2300万人の台湾こと中華民国が、いかに本当の台湾となり、強大な中国(中華人民共和国)の脅威からも自立できるか。この政策をめぐり台湾では選挙のたびごとに意見が激しく対立します。
そして、沖縄のすぐ西にある台湾は、日本にとっても極めて重要な国であることも我々はもっと理解する必要があるのです。
「台湾人に、日本の植民地時代への反発がないかといえば嘘でしょう。しかし、その後の国民党に支配された台湾の悲劇がそれ以前の過去を吹き消しているのです。今、台湾は日本との協力と連帯を強く求めているのです」
ある出版関係者はそう語ります。確かに書店に行けば、日本語のコーナーも英語と同じほどの大きさで、様々な日本語学習書が並んでいます。
韓国は長年韓国人の国家でした。ですから、日本が植民地にしたことへの恨みが深いことは否めません。それと比較して台湾はそもそも日本が統治した後、中国が台湾に進出し、現地の意向をよそに国家をそこに樹立したわけです。この歴史的背景の違いが、韓国人と台湾人との対日感情の差異となっていることも、理解しておくべきなのです。
2018年12月18日火曜日
識字率の高さを誇るには
【ニュース】
Japan Literacy--Literacy: definition: age 15 and over can read and write
total population: 99%
male : 99%
female : 99% (2002)
訳:日本の識字率-定義(15歳以上で読み書きができる者)、全人口の99%、内男性99%女性99%(女性は2002年の統計)
(CIA World Factbookより)
【解説】
ここに記された統計資料をみて、皆さんはどのように感じるでしょうか。
いつの時代にも、為政者にとって最も都合のよいことは、情報をコントロールできることです。ネット時代になって、多くの為政者は嘆きます。どんなに情報をコントロールしようとしても、ネットによって様々なことがすぐに拡散してしまうと。しかし、人々は思います。ネットを利用することで、為政者はより情報を簡単に操作できるようになると。
このどちらも真実です。為政者になるためには、選挙で勝って権力を握るか、現在の価値観に従って、官僚機構を登りつめ、そうした政治家をコントロールするかといった方法しかありません。どちらの道を選んだとしても、彼らが情報をしっかりコントロールでき、例えそれが虚構であっても、人々に恐怖や悦楽の媚薬を流布し続ければ、彼らはその地位にとどまることができるというわけです。
情報を牛耳るための最も簡単な方法は、文字情報を独占することです。
江戸時代を例にとります。江戸時代、日本は意外と識字率が高かったという人もいますが、それを証明できる具体的な根拠はありません。ただ、武士と町人が多く集まる江戸や大阪といった都市部と、地方とでは識字率に大きな差異があったはずです。さらに、男性と女性との間でも違いがあったことは推察できます。
では、現代はどうなのでしょうか。確かに日本の識字率は過去に比べて大幅に改善され、世界のトップレベルであることは事実です。しかし、文字を読めることと、現象や事象を分析し、批判する能力とは異なります。分析力、批判力の根本は、いかに情報が間断なく流通しているかということと大きく関係します。
江戸時代、江戸の日本橋という限定した地域では、確かに識字率は8割を超えていたかもしれません。しかし、日本経済の中心であった日本橋にあっても、海外からの情報は殆どはいって来なかったのが鎖国時代の現実です。
ですから、識字率は高くても、科学技術、社会制度はさほど発展しませんでした。逆に識字率が高い分だけ、「お上」は文字によって庶民をうまくコントロールできたのかもしれません。
つまり、為政者にとっては、文字情報の伝達力を独占できれば最も都合がよいものの、仮にそれが難しい場合、識字率が高いものの、情報の流通の風通しが悪ければ、実に都合よく社会を誘導できるというわけです。
従って、現在の日本の場合であっても、日本語での識字率の高さだけを誇ってみても意味のないことがわかってきます。海外からの情報をどれだけバイアスなく受け取れるか。少なくとも英語で発信される海外の情報にどれだけの人が直接接しているかという視点も重要なのです。
80年代から90年代、日本は世界第二位の経済大国であると自負していました。そして、その地位を中国に奪われたとき、多くの日本人は心の中で思いました。中国には言論の自由もなければ、一部の富裕層を除けば大多数は貧困に苦しんでいると。質という面では日本の方がはるかに上なのだと。
実は、GDPにおいて中国に日本が追い抜かれるまで、欧米の識者はそれと似たような批判をGDPの高さを誇っていた日本人に向けていました。それはほんの30年前のことでした。実は、識字率と同様にGDPによる国の評価にも、こうしたトリックがあることを我々は知っておくべきです。
確かに、日本は中国よりも言論の自由はあるでしょう。しかし、よく考えてみましょう。日本人は目に見えない言論統制に翻弄されていないでしょうか。英語力の低さ、海外とのコミュニケーション力の瑕疵によって、情報が日本に届いたときには、日本人にとって心地よいように変質されたり、選別されたりしていないでしょうか。ここのところを我々は真剣に考えるべきかもしれません。
事実が何か、何が良いことで悪いことかといった情報はあくまでも相対的なものです。江戸時代に事実であると思われていたことが、現在では荒唐無稽なものだという事例はいくらでもあるでしょう。また、中世には罪悪であると断罪されたことが、現在では人間の当然の権利として大切にされている事例も無数にあるはずです。従って、現代人が当然と思っていることも、未来には変化してゆくことは当然起こりうることなのです。
現在最も危険なことは、溢れる情報の質の良し悪しを判断すること自体が困難な時代に我々が生きているという現実です。相対的な事柄を絶対的な事柄に置き換えて、それをさも当然のことであるかのごとくネットで配信し、誘導し、ポピュリズムを煽ることも簡単にできる時代に生きているということを意識する必要があるのです。
日本人もそうした意味では見事に言論統制されているのかもしれません。決して識字率やGDP、そして表面的な教育レベルだけで我々の社会の質そのものを評価し、比較してはいけないのです。
もちろん、このことは日本だけに言えることではありません。世界中で人類はこうした表面上「事実」といわれている事柄に翻弄されています。
少なくとも、我々にとって身近な日本という国の中においては、人々がこうした課題に真摯でありたいと思うのです。
2018年12月11日火曜日
癌の克服とノーベルの発明に共通する人類の矛盾と未来とは
【ニュース】
Nobody knows where the brakes are. While
some experts are familiar with development in one field, such as artificial
intelligence, nanotechnology, big data or genetics, no one is an expert on
everything. No one is therefore capable of connecting all the dots and seeing
the full picture. ----and nobody has a clue where we are heading in such a
rush. Since no one understands the system any more, no one can stop it.
訳:ブレーキがどこにあるのか誰も知らない。例えば、AIやナノテクノロジー、ビッグデータや遺伝子学など、それぞれの分野の専門家はいても、全ての専門家はいない。従って、これらの点をつなぎ合わせて、全体を鳥瞰できる人はいない。そして、この急激な変化に向けて、誰も我々がどこに行こうとしているのか理解することはできない。もうシステム全体を理解できる人はいないのだ。だからその変化を止めることは誰にもできない。
(Yuval Noah Harari著Homo
Deusより)
【解説】
これは、以前紹介した、ユバル・ノア・ハラリ氏の最新の著作「ホモ・デウス」からの引用です。彼は、本書で今までのホモ・サピエンスを凌駕した、ホモ・サピエンスにとっては神のような新たな人種を人類の未来像として描いています。
ノーベル賞受賞のシーズンとなりました。日本からは本庶佑氏が癌の免疫に関する長年の研究がみとめられ受賞することになりました。
ノーベルはダイナマイトを発明した人物です。しかし、ダイナマイトの技術が戦争に利用され、多くの人命が奪われたことから、彼が発明で得た資産を運用し、世界の発展や平和に役立った人や組織に賞を送ろうとしたことが、ノーベル賞のはじまりであったことは周知の事実です。
今回は、ノーベル賞の受賞となった癌の克服というテーマについて、少し変わった視点から考えてみたく思います。
本庶氏は記念公演で、癌の完治は難しいかもしれないものの、癌が通常の慢性病と同じように治癒され、人々が救済されるようになるのはそう遠い将来ではないだろうと語っていました。癌と同様に、現在人類を脅かすほとんどの病魔が治癒可能になろうとしています。人類は長寿を全うでき、さらに不死の領域にまで向かおうとしているのではという声まで聞こえてきます。そんな人類の将来の姿を「ホモ・デウス」としてハラリ氏が描いたのです。
実は、今年私は二人の親を失いました。義理の父が脳梗塞によって他界したのが今年の1月。膵臓癌が体を蝕んでいるのではと医師が疑った直後のことでした。それから7ヶ月して実の母がアルツハイマーと10年以上闘った末に94歳の生涯を終えました。
二人とも、最後の2−3ヶ月は管(くだ)と点滴による栄養補給で、わずかに残った命をつなぎました。医師は鼻からの栄養補給は延命行為ではなく、通常の医療行為の一環だと主張。苦しめずに人生を全うできるようにと願った我々遺族も、結局はその判断に従いました。しかし、母の遺骸に接したとき、手首に点滴の針による黒じみが痛々しく残っている様子が心に焼き付いて離れません。
人は死を恐れ、長く生きようとします。しかし、その最終段階でほんの数ヶ月の延命のためのこうした医療行為が本当に必要なのかは、誰もが考える課題です。
人間は、そんな死の恐怖と苦痛から逃れようと、医学の進歩を望みます。もちろん、高齢者への延命行為のみではなく、幼い命も若い命も等しく病魔にさらされる可能性があるわけですから、人が医学の進歩を望むのは、当然といえば当然のことかもしれません。
ただ、一方で人生が長くなり、60代でも70代でも、昔の40代のように元気で働くことができるようになれば、社会は大きく変化せざるを得なくなります。社会保障制度の見直しも必要になります。世代間の格差、さらには若い世代と年長者との意識やものの考え方のギャップも顕著になります。同時に若者が膨大な老齢人口を支えるのではなく、昔は老人と呼ばれていた世代が積極的に社会に貢献し勤労できる仕組みも考えなければなりません。
そんなことを考えていたとき、フランスでマクロン政権が打ち出した燃料税の引き上げに反対するデモがおこりました。それは、既にデモの領域を通り越して、革命を彷彿とさせる大衆運動にまで拡大しようとしているとメディアは報道します。世代のみならず、高齢者の増加は、こうした暴動の引き金になる貧富の格差にも直接影響を与えるはずです。ネット世代の人々が、大衆運動を起こすときの規模感は過去には想像もできないほどのものになりつつあります。今までは異文化といえば、水平方向に広がるもの、つまり国や文化が異なる人々の間でおきるコミュニケーションの問題がテーマでした。
しかし、これからは世代間の異文化も拡大しつつあります。年齢差が拡大すればするほど、そのギャップは大きくなります。その差異にソーシャルメディアなどの進歩が絡まる中で、社会は様々な影響を受けるはずです。今回のフランスでの騒動もこうした現代の社会の不安要因と決して無縁ではないはずです。
実は、発明や発見のほとんどは、善意によって成し遂げられます。
本庶氏は癌に苦しむ人々のためにと免疫の研究を続けてきたはずです。課題は、同様の意図で、世界中で様々な異なる研究が進められていることです。免疫のみならず、細胞の再生やAIによる医学への応用など。それぞれは別々の場所で研究されていても、それが集大成されたとき、人類はその膨大な研究の集合体をどのようにでも活用できる可能性をもっているのです。そんな集大成によって、人は遺伝子を操作し、人の手で人が最も理想とする人間を創造できるようになるかもしれないのです。その人間は我々とは異なる感情、発想をもった全く我々とは異なる生き物となるかもしれないとハラリ氏は解説しています。
ノーベルは火薬の軍事利用に決して消極的ではなかったようです。しかし、火薬は鉱山での採掘や工事現場などで使用されることで、文明に寄与してきたことも事実でしょう。個々の発明が善意によるものとしても、それを総論で捉えたとき、はたしてそれが人間のモラルを崩壊させることなく運用されるか、それは誰にも予想できないリスクなのです。病気にもかからず、怒りや恨み、そして嫉妬といった感情を持たず、人々が一般的に求める幸福のみを追求できる人間が、様々な異なる研究の末に偶然にも創造されるとき、人類はどのような未来を迎えるのか。これには我々も不安を覚えてしまいます。
癌が克服されたとき、人は他の多くの病気も克服しているかもしれません。本庶氏もノーベル賞受賞の講演で語っているように、そんな夢の世界は既に目の前に訪れようとしているのです。
しかし、残念なことに、人類は利器を手にいれたとき、それを凶器に変化させながら進化し現在に至りました。そんな利器が現在は様々な分野で無数に人類の手によって造られているのです。我々は、そうした利器を我々の手の余るような凶器に変えないように、常に見つめてゆかなければならないのです。
2018年11月20日火曜日
文化というコインの表と裏を考える
【ニュース】
Once, “Yuzu” or flexibility was one of the key values among Japanese. Traditionally, to maintain Japan's interdependent society, one had to take action based on how the person one is dealing with feels and what that person wishes to do.
訳:以前は、「融通」は日本人の最も大切な価値観の一つでした。伝統的に、お互いが依存し合っていた日本社会では、相手がどのように感じ行動したいかを考えて、その意思に対して自らも対応できるようにしなければなりませんでした。
(IBCパブリッシング刊行「日本人の心」より)
【解説】
先週、西欧文明をヘブライズムとヘレニズムという概念から分析してみました。それをベースに、今回は日本人の意識とその変遷について考えてみたいと思います。
全ての文化には、コインの表と裏のように、強い部分と脆弱な部分とがあります。
例えば、日本に昔からあった価値観に「融通」というものがあります。まずは、この「融通」という考え方にスポットを当ててみましょう。
融通の利く人といえば、柔軟で物事を多面的にとらえ、その場その場で状況や人に対してうまく対応する知恵をもった人を指しています。
しかし、コインの裏側となる脆弱な部分をみれば、例えば人脈やコネ、さらには賄賂といったもので特定の人や組織に便宜を図ることも「融通」は意味しています。
このコインの裏側が社会悪として指摘されたとき、コインの表側にあたる本来の強い部分までもが同時に否定され、その価値自体が絶滅してしまうリスクを我々は常にいだいているという問題をまずここで指摘します。
このことを心に留めながら、前回紹介したヘレニズムとヘブライズムの乖離について、場所を欧米から日本に移してさらに考えてみたいのです。
キリスト教社会において、ヘレニズムとヘブライズムとが両輪となって西欧文化という馬車を走らせてきたことを先週解説しました。
そんな西欧の文化を明治以降日本人は必死で学び、社会を変革させてきたわけです。しかし、明治時代においては、その変革を行ったのは日本人自身でした。従って、当時の指導者の多くは、欧米の文化を取り入れながらも、日本の従来の価値観はしっかりと維持しつつ、社会を近代化させていこうとしたはずです。
その従来の日本の価値観は、ヘブライズムに象徴される一神教的な価値観とは相容れぬものでした。日本人の宗教観は、もともと森羅万象に神々が宿るとされたアニミズムにその基盤がありました。仏教が伝来したときは、仏教を知恵の学問として捉え、寺院を建立しながらも、アニミズムとしての神社が寺院の一角に祀られるなど、まさに日本人は宗教においても「融通」をきかせて文化を育ててきたのです。
突き詰めていうならば、「正」と「邪」を二元論で捉えるのではなく、状況に応じて相対的にそれを捉えることに日本人は心の拠り所をもっていたのです。従って、欧米流の一神教の原理にそぐわない行為をしたときに発生する「罪」の意識は、日本人には希薄でした。
第二次世界大戦に至るまで、日本人はこの伝統的な判断を維持しつつ、技術や手法としての西欧文明を受容してきたのです。
これが、一刀両断に否定されたのが、第二次世界大戦に日本が敗れたときでした。
日本が占領されたときに、ヘブライズムとヘレニズムの二つの刃をもった欧米の価値観が日本に容赦無く突きつけられ、浸透していったのです。
それは良いことでもありました。それまで日本にはなかった基本的人権や主権在民という意識が芽生えたことなどは、そんな利点の代表例といえましょう。また、過去にアミニズムによって育まれた神道を政治に導入し、日本を軍国主義の軍靴に巻き込んだ事実への反省もなされました。戦争を放棄し平和を求める憲法の制定などがそれにあたります。その結果政治と宗教を分離し、天皇制を頂点とした社会のために人々が犠牲を強いられことがなくなったことも良いことでした。
この利益は正に戦後の日本文化のコインの「表」を象徴していたのです。しかし、同時に日本はコインの「裏」の影響も被ったのです。
長い戦後の歴史の中で、先に触れた「融通」などの価値観が葬られだしたのです。戦後の歴史を通して、ヘブライズムに象徴される正と邪の二元論で、日本人の古き良き「曖昧さ」が裁かれてしまったのです。
前回、私は欧米では、ヘブライズムとヘレニズムとの乖離が現代社会の分断に直接影響を与えていることを強調しました。
しかし、この乖離のプロセスの中にありながらも、欧米の人々の心の中には厳然とヘブライズムに支えられた「罪」の意識は残り続けました。さらに、一神教によって培われた、思想や意識が異なる人に対して妥協せず、相手を「邪」としてしまう強い意識が社会の分断に拍車をかけていることも解説した通りです。
そんな、ヘブライズム的な発想を受け入れた日本人は、それが自らの伝統にそぐわないという微妙な不快感を抱きながらも、ヘブライズムとヘレニズムとに支えられた西欧文化のコインの「表」を必死で吸収し、自己の文化の中に注入をはじめたのです。
この微妙な不快感。それが、そのまま日本人のアイデンティティの喪失への恐怖へと繋がったのです。その恐怖が偏狭なナショナリズムを育成したこともあれば、逆に潔癖すぎるまで透明な社会を目指そうとする社会の動きも醸成しました。
例えば、会社経営でコンプライアンスが必要であるという主張が是とされれば、過去になされていた「融通」の精神の全てが否定され、厳格なプロセスの履行のために、膨大な書類の作成や、人的資源が使われるようになりました。
個々の人権が尊重され、それを遵守するプロセスの中で、プライバシーという意識が導入されると、江戸時代にあった長屋などでの共同体意識が破壊され、今では日本人は世界の中でも稀にみるプライバシーを重んずる民族へと変貌しました。社会で個人のプライバシーが尊重されながら、隣同士の連帯や相互扶助による村社会的発想が葬られてゆきました。
それでいて、従来の意識は会社の中などでの上下関係や、組織への盲従といった不自然な形式で継承されもしたのです。そしてそのことが却ってコンプライアンスやプライバシーの管理の課題としてクローズアップされるのも皮肉な現実です。この捻れが、今の日本社会の中で多くの社会問題を生み出しているのです。
ものごとはバランスが大切です。文化そのものに何が正しく、何が過ちというレッテルを貼るのは危険です。文化や価値はその運用の仕方が大切です。運用の方法によって、コインのどちらかの部分が大きく見え隠れするという現象を、我々は冷静に見つめなければなりません。その上で、日本人にとっての日本文化のあり方を改めて考えることも必要なのかもしれないのです。
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