2017年12月19日火曜日

日本人の謙虚さが誤解されないために




【英文】The squeaky wheel gets the oil
訳:車輪が軋んでオイルをさす(アメリカのことわざより)

【解説】
英語を学び、海外の人と英語でコミュニケーションをするにあたって、この格言を是非知っておいて欲しいのです。
車輪はスムーズに回転しているときは音をたてません。しかし、オイルがきれてくるとギーギーと音をたてて、車輪の不調を訴えます。言い換えると、ギーギーと音をたてると、人がそれに気付き、オイルを注すのです。
このことから、この格言は、「自分の気持ちをしっかりと言葉で表明しない限り、人は取り合ってくれないよ」ということの例えとして、アメリカ人の間で使用されているのです。

日本人の好きな言葉に「謙譲の美徳」というものがあります。
言い換えれば、自分のことを主張するのではなく、控えめであることが日本人には良しとされています。つまり車輪が軋んでも、あえてそれを声にださず、じっとしていることで、逆に控えめな良い人だということで、日本人は阿吽の呼吸でオイルを注してくれることになります。
しかし、この日本人の発想が海外では「日本人は何を考えているかわからない。不可解で付き合い辛い人たちだ」という誤解へとつながるとしたら、それは極めて不幸なことといえましょう。
でも、この誤解は実際に世界のあちこちで起こっているのです。

海外と日本とでは、コミュニケーションの方法そのものが異なる場合が多々あります。
アメリカをはじめ多くの国では、自分の意思や主張をしっかりと語ってはじめて相手に意図が伝わります。それには言いたいことを瞼の内側に具体的な画像で描いてみて、それを客観的にできるだけ詳しく語らない限り、相手に自分の意図が伝達されないことを意味しています。しかも、強調するところはしっかり強調し、感情的ではなく、それでいてはっきりとした口調で相手に意思を伝える必要があるのです。

日本人が100伝えたつもりでも、実は10も意図が伝わっていないことがよくあるのです。
控えめな表現になれている日本人が、日本人同士で語り合うときと同じ発想で英語で話をすることがその原因です。英語で話をするときは、自分の気持ちをちょっとしつこいぞと思うぐらいに表明して、初めて相手が意識してくれると思うべきです。

人のメッセージは、時間と距離が長くなり、他の文化圏へと伝達しようとすればするほど、伝わりにくくなります。
家族で会話をしているときは、100パーセント伝わっているメッセージが、他人とではそうはいかなくなることはよくあることです。それが、文化の異なる相手に伝えるのではなおさらというわけです。

ですから、そのリスクを補うためには、明快で詳細なメッセージの伝達に加え、相手に注目してもらうための強い視線や大きなジェスチャー、さらには豊かな表情を総動員しなければなりません。

これから、海外の人とコミュニケーションをするときは、必ずこの格言を思い出して、表現方法に工夫を加えるようにしていただきたいのです。


2017年12月11日月曜日

高齢者という言葉を捨てたとき、日本の社会が変化する



【 ニュース】
The Census Bureau says that by 2050, there will be 84 million seniors in this country. – So when I say, “Let’s start talking more about these wonderful entrepreneurs.” I mean, let’s talk about their ventures, just as we do the ventures of their much younger counter parts. The older entrepreneurs in this country have 70 percent success rate starting new ventures. And that number plummets to 28 percent for younger entrepreneurs.

訳:国勢調査によれば、2050年までにアメリカ人の高齢者は8400万人に達するといわれています。そこで申し上げたいのです。何か素晴らしい起業について語り合おうじゃないかと。若い世代のベンチャー企業を取り上げるのと同じように。この国の高齢者のベンチャーの成功率は70%といわれています。若い起業家の成功率は実は28パーセントなのですが。
Ted Talk より)

【解説】
これは、66歳になって事業をおこし成功したポール・トラズナー氏が自らの経験を元に、高齢者の起業について語ったスピーチからの抜粋です。

日本社会が高齢化にいかに取り組むかというテーマが語られて、すでに20年以上が経過しています。

それにもかかわらず、高齢化社会を若年層がどのように支えていくのかという問いに有効的な回答はでていません。
しかも、高齢化社会の人口の逆ピラミッド現象への対処としては、医療と福祉の視点からしか議論されていません。それどころか、福祉の面からみた場合も、看護士や高齢者施設の介護士などをいかに充実させてゆくかという課題に対して、難問山積です。
例えば、外国人労働者に対するハードルの高い就労条件など、様々な障害が立ちはだかって、日本社会の構造疲労に翻弄されたままになっています。

こうした問題を根本的に解決するとき、我々は高齢者とはそもそも何なのかということを多面的に考える必要がありそうです。
今回紹介するアメリカの起業家のケースは、その問題に前向きな光をあてるヒントとなりそうです。
労働力に必要なことは、働く意欲(あるいは意思)と健全な頭脳、そして体力の3つの要素があるでしょう。
日本の場合、多くの人が、健全な頭脳と体力を持ちながら、意欲と意識の部分で「高齢者」となっている人が多いのではないでしょうか。

そもそも、日本は女性の労働力を無駄にしているといわれてきました。
これは、育児制度の問題などを解決することによって、早急の改善が求められる課題です。そして、女性が男性と平等に働ける環境もしっかりと作り上げ、維持しなければなりません。
しかし、それに加えて、実は日本では高齢者の労働力も無駄にしようとしているのです。
「老後」などという言葉があり、定年や退職という人生にとっての重要な変化の後、多くの人が年金生活や老後の余暇のことばかりを考えます。
また、貧富の差が拡大するなか、この範疇に入らない人には過酷な老後の労働が待ち受けています。こうしたことが、60代以上の人々の意欲と意思を毀損しているのです。

一方で老後もオフィスに通い続ける人に対して、老害という言葉があります。
これは使い方によっては高齢者への差別用語です。ただ、この表現が組織の中で、いつまでも地位や影響力にしがみついている人のことを皮肉った言葉であることも事実です。もっとも、そうした老害が発生するのは一部の、かつ経済的にも恵まれた人の間での問題でしょう。

今回の紹介したトラズナー氏のトークは、高齢者をめぐるこれらあらゆる課題に一つの答えをだしています。
高齢者の労働意欲は、過去に積み重ねた経験と蓄積された知識とが融合したときに大きな力となるのです。ここでも指摘されているように、高齢者が起業した場合、その成功率は若年層の起業よりははるかに高いはずです。

ただ、トラズナー氏のケースを考えるとき、そこには、高齢者の側にも心がけが必要だということも考えさせられます。
高齢者が新たな社会で活躍しようとするとき、彼らが陥りやすい過ちがあることを知っておくべきなのです。
まず大切なことは、過去の経験や蓄積、そして地位を「ひけらかさない」ことです。誰を知っている、何ができたということは、基本的には過去の勲章なのです。勲章は単なる飾りで、勲章をぶら下げている個人が時代から乖離していては、何の意味もありません。
また、その勲章は企業という組織があってこそ尊重されていた「ブリキの勲章」かもしれないのです。
課題は、そうした勲章をプレゼンして回るのではなく、他に働きかける前に、自らがそうしたネットワークから新たなものを掘り起こして、事業にしてゆく姿勢が大切なのです。
勲章を押し付けられ、それが受け入れられず逆ギレしたり、相手が断るに断れず、その人を困惑させ、その結果そんな相手を曖昧だと責めたりでは、健全なビジネスの運営はできません。

私の知人で、元有名な新聞社の幹部だったという人がいました。
彼は、その勲章を元に、多くの人を紹介するのですが、紹介された人も、そうした人を連れて来られた我々も却って厄介なこととなっている事実に本人は気付きませんでした。

こうしたことを自省し、過去の勲章を捨てる勇気が必要です。その上で、本人に意欲があるならば、高齢者は日本の未来にとって、最も有用な労働資源であり、経済資源となれるのです。

アメリカでは、60代どころか80代になっても、ぎらぎらとした目でビジネスを語る人を多く見受けます。そうした人の多くは、過去の自分のストーリーではなく、現在のアイディア、ビジョンについて語ります。

そうすれば、誰も高齢者のレッテルは貼らないのです。もっというなら、ビジネスにとって年齢を設定すること自体age discrimination(年齢に対する差別)として処罰されます。ですから、一旦ビジネスの場に立てば、老若関係なく、平等な扱いを受け、あとは結果をもって評価されるのみというのが、アメリカの競争社会の現実です。

では、体力はどうなんだという人もいるでしょう。
体力はもちろん年齢によって変わってくるでしょう。しかし、それは体に障害のある人が平等に扱われなければならないという制度と社会常識で解決が可能です。自らの体力に合った起業やビジネスは、ネットワークさえすれば、必ず見つけることができるはずです。

日本人の年齢人口の逆ピラミッド化が、実は日本の未来にとって大きなチャンスでありうることを、我々はもっと認識していいのではないでしょうか。「高齢者」という言葉で人を一括りにすることをやめたとき、日本の社会は思わぬチャンスを手にいれることができるのです。

2017年11月20日月曜日

ネイチャーの警告は、日本の教育のあり方への苦言


【ニュース】
Japan’s status as a science superstar is vulnerable. Nature Index 2017 Japan reveals that although the country is still among the upper echelons of global research, its output has continued to slide.
訳:日本の科学分野での優位が危機に直面している。ネイチャーインデックス2017をみると、日本が今でも世界のリサーチレベルでの上位にあるものの、その発表量は常に減少傾向にあることがわかる。(Nature Indexより)

【解説】
このヘッドラインは科学雑誌で有名なネイチャーNatureが発行するNature Indexの日本についてのヘッドラインです。

実は日本の競争力の基盤となる科学技術やリサーチ能力の衰微が現在深刻な問題にさらされているのです。
Nature Indexは、世界での優秀な論文の発表数を詳細にまとめて公表しています。それによると、日本からの科学研究の成果の発表数がこのところ他の先進国と比較しても減少傾向にあるのです。
この原因をじっくりみるとき、我々は「教育のあり方」そのものを見つめ直す必要性に迫られていることに気付かされます。

つい先日、長崎の大学で講義をすることがありました。
講義の冒頭、学生にテーマを与えました。海外の人に日本を紹介するとき、どのように日本のことを伝えますかというのがその内容です。
すると出席した70名のうち、95%の人から日本は「安全」「清潔」「食事が美味しい」「美しい四季がある」「便利」のいずれか、そして日本人は「親切」「丁寧」であるというコメントがかえってきました。
さらに、ほとんどの人が、日本人には「おもてなし」の精神があるといっていました。

さて、この回答と、Natureでの指摘とは、どのようにリンクしているのでしょうか。
まず、彼らがどうしてこのように回答したかを考えましょう。彼らに問いかけてみると、多くの場合高校教育の過程で同じようなテーマで討議を盛り込んだ、いわゆる「アクティブ・ラーニング」を経験しているのです。
また、日本での報道からの影響も大きく、多くの外国人がそうコメントしているという理由も伺えました。

では、仮に外国から来た人が、日本をみてそのようにコメントしているからといって、それを日本人がこうしたことを海外に向けて逆に表明することがよいことなのかを考えてみましょう。きっと多くの外国人は、「え、どういうこと?」と思うはずです。多くの国の人は思います。「我々にだって美しい四季はあるよ」「それって、われわれは清潔でないってこと?」「我々はまずいものばかり食べているの?」「そうかなあ、我々は親切ではなく、雑なんだ」と思うかもしれません。

彼らのコメントには、相手の身になってものごとを考え、そのデリカシーをもって日本を紹介するという、ちょっとした意識の変換への知恵が欠如しているのです。また、海外のことを知らないままに、日本に向けて語られた報道のみを受け売りにしていることも忘れてはなりません。
さらに課題は、そうしたコメントを学校の教育現場でも支持してきたことです。テレビ等での海外の人の外交的なコメントの報道について、それを検証したり、考えたりすることを教育現場で奨励していないことにも大きな課題があります。

科学的な発想力の根源はといえば、「常識を疑う心」です。これが想像力を育み、人類の進歩をもたらします。引力の発見、地球が球体であることや太陽系の一員であることの認識など、すべてはそれ以前の常識にメスをいれることから、それらの発見がはじまりました。
日本の教育は、覚えること、暗記すること、さらに試験に合格するノウハウを磨くことという技術に特化し、先生のいうことに Why? という質問を投げかけること自体をタブーにしてきたのです。

ですから、報道されていること、教科書に書かれていることを丸のみにし、模範回答をする子供が優秀とされ、それに Why? と切り込み個性をみせる子供は異端とされてしまいがちです。親も子供に学校の方針に合わせることが無難だという教育を行います。その結果、親と教師が一緒になって子供の能力を摘み取っているケースが数知れずあるはずです。

日本を海外の人にどのように紹介するかというテーマを与えたとき、正に模範解答のようにここで紹介した内容のコメントで埋め尽くされた事実は、この Why? という能力を磨くことを怠っている教育現場が生み出した負の遺産なのです。批判する目を養う意識が欠如しながら、報道や国のいうこと、あるいは権威があるといわれる人のいうことを鵜呑みにして、判で押したような回答をする子供が増えているのです。その結果、海外の人と柔軟にコミュニケーションのできない人材が日本を埋め尽くすことになりかねません。政治上、あるいは国際関係の上では一応うまくいっているようにみえても、実際は精神的に世界から孤立した人が増え続けるのではという危惧を抱くのです。

よく、日本人は自らの国を島国で、だからこそユニークだといいます。世界に島国は数え切れないほどあり、それぞれがユニークな文化を持っているにもかかわらず、日本人は自分のことを特殊あつかいしがちです。その意識が歪んだ優越感へと退化した結果、こうした判で押したような日本礼賛のコメントがでてくるのです。

こうしてみると、ネイチャーの記事が指摘する、日本人による優秀な論文や科学的発表の機会の減少は、単に英語力だけの問題ではないことがわかります。英語力は大切ですが、英語を使いどのように人とコミュニケーションをし、 Why? という疑問をぶつけ合いながら切磋琢磨できるのかという点こそが大切なのです。これは日本の教育現場全体に投げかけられる課題なのです。

英語教育の改革の現場で、4技能の育成がとやかくいわれています。
しかし、ここに指摘した課題を踏まえずに改革を実施した場合、それは新たな「受験技術」を磨くための教育がはじまったに過ぎないことになります。
英語教育をどのように変えてゆくかを見据えることと、Natureの指摘する危惧をどのように克服するかというテーマとは同次元の深刻な課題なのです。今、日本では教育者自身の意識改革こそが問われているのです。

2017年11月14日火曜日

歴史の重みに悩む社会の世直しに強権は必要か


【ニュース】
A Philippine President had an approval rate of just 48% -- the first time his popularity has dipped below 50% during his 16 – month presidency.
訳:フィリピンの大統領の支持率は48パーセントと、就任後16ヶ月にしてはじめて50%を割り込んだ(CNNより)

【解説】
今回は、先週解説したサウジアラビアでの改革の旋風を思い出しながら、フィリピンの現状を考えてみます。
というのも、フィリピンにもサウジアラビアにも共通していることは、長年の汚職や不公正に対して、強いリーダーによる強権政治が必要かどうかの是非が問われているからです。サウジアラビアは、皇太子モハメッド・ビン・サルマンに権力が集中する中で、王家も含む伏魔殿にメスがはいろうとしています。そして、フィリピンでは、逆らう者を射殺してでも麻薬と賄賂を撲滅するとしたドュテルテ大統領が話題になって、すでに1年以上が経過しています。

「フィリピンの人の顔をみるとね、いろいろなルーツがあることがわかるんです」ルソン島の中部にある町を仕事で訪れたとき、現地の友人がそうかたってくれました。
私の前に座る5人のフィリピン人。彼らの顔をみると、確かにそれぞれ異なったルーツがあることが確認できます。ヨーロッパ系、アメリカ系、中国や日本系などなど、多様な民族の血がそこに流れているのです。

まず、フィリピンは16世紀にスペイン領になっています。ですから、今でも町や通りの名前などにその名残があるだけでなく、彼らがローカルに話す様々な言語の中にもスペイン語が混ざり込んだりしています。
そして、1898年にアメリカとスペインが戦争をしました。その戦争にアメリカが勝利した結果、アメリカはスペインからフィリピンを譲渡されます。アメリカの植民地となったことが、フィリピン人が他の地域より英語に堪能になった原因となりました。また、フィリピンが近代法を導入するときなどに、アメリカの法律が参考にされました。

そして、1941年のこと、アメリカと日本が戦争になると、フィリピンは激しい戦場になりました。スペインやアメリカ領の時代にも、現地のフィリピン人への差別や虐待は多くありました。独立運動もおき、その犠牲になったフィリピンの人も多くいました。そして残念なことに、フィリピン人に対する対応は、日本が数年間フリピンを占領したときも同様でした。日本の占領政策に不満を持った多くのフィリピン人が、アメリカが日本に反撃し、フィリピンに再上陸したときに、アメリカ側に協力しました。その結果、密林の中で、飢えや疫病で数えきれない日本兵が命を落とし、戦後になっても戦犯として裁きを受けたことはよく知られています。

戦後にフィリピンは独立しますが、貧困や政変が続き、国は荒廃します。そして多くのフィリピン人が家政婦などになって海外で働きました。
この経緯から、フィリピン人にはスペイン、アメリカ、そして日本や中国の血の混じった人が多くいるのです。
フィリピンの学校ではもちろん、こうした過去の悲劇について教えています。日本人が忘れている日本軍の占領時におきたことも教わっています。不思議と彼らはそのことを公の話題にはしません。でも、彼らに深く聞けば、歴史の授業で日本のことをどのように勉強したかがわかってきます。

そんなフィリピンが独立以来悩み続けてきた社会の混乱。特に蔓延するドラッグと賄賂を一挙に撲滅しようと、強硬策を実施したのがドュテルテ大統領でした。しかし彼の人気に今陰りがでているといわれます。裁判なしで、警察がどんどん容疑者を射殺し、刑務所に送り込んだことが、人権侵害と三権分立の原則に反すると攻撃されているのです。ある人によれば、スペインの占領政策の影響で、フィリピンには多くのカトリック信者がいることも大統領の人気の陰りの原因であるといいます。教会が大統領が麻薬撲滅政策の中で、人命を軽視した改革を断行していると批判しているからです。

長い歴史の重圧を克服し、国家を成長させることは並大抵のことではありません。フィリピンに限らず、中東やアフリカなど、近世から現代にかけて植民地として収奪された地域の多くが、その影響から抜け出し社会を発展させることができず、今でも政情不安や貧困に悩んでいることはいうまでもありません。

先週紹介したサウジアラビアのように、そうしたジレンマを解決するためには強権的な改革も必要なのかもしれません。そして、サウジアラビアでのニュースが流れたとき、真っ先に思い出したのが、ドュテルテ大統領の政策でした。サウジアラビアの場合も、女性に対する不公平など、様々な社会問題を解決するときに、つねに課題となったのが、イマームと呼ばれる宗教的な権威による抵抗でした。
フィリピンの場合、人権問題という課題を克服しながら、教会や司法との対立を乗り越えて改革を続行できるか、今大統領の手腕が問われているのです。
国が未来に向けて過去の汚泥を捨て去るとき、どこまで強権を行使できるのか。あるいはどこまで強いリーダーシップが許されるのか。
サウジアラビアとフィリピンのケースが、世界から注目されているのです。


2017年10月24日火曜日

Japan Inc.というイメージを変えるには


【ニュース】
What is happening with Japan Inc? Japan has long been held up as a shining example of integrity, assured quality and reliable products…
訳:日本は誠実で、質がよく、安心できる商品を提供できるという輝かしいイメージを維持してきた。しかし---。いったいJapan Inc.に何がおきているのか(BBCより)

【解説】
神戸製鋼や日産など、日本企業のスキャンダルが相次いで報道されています。
今回の衆議院選挙の結果と照らし合わせ、保守化する日本と、そんな日本を代表する企業での不正に、海外の報道機関は複雑な視線を投げかけています。

Japan Inc.という言葉があります。文字どおり「日本企業」を示す言葉ですが、この表現の向こうには、80年代に政財界が一体となって日本という企業集団を運営し、成功へと導いていったときのイメージが残っています。
当時、高度成長以降、さらに破竹の勢いで拡大を続けていった日本企業の姿を、欧米の人々はJapan Inc.という言葉で表現したのです。

バブルがはじけて以来、そうしたJapan Inc.のイメージが変化しました。構造改革に乗り遅れ、低迷に悩む日本の産業界の姿を、人々はJapan Inc.と表現しはじめたのです。
CNNなどでは、今回の選挙のあと、安倍政権の長期化が予測されるなか、このJapan Inc.の「負のイメージ」を、いかに日本が変えてゆけるのか特集を組みました。
日本にはもっと若くリーダーシップをとれる企業人が必要とされているのではないかと彼らは問いかけます。
高齢化、財政赤字という二つの大きな課題に、日本政府は本気で取り組み、社会を変えてゆくことができるのかとも海外のマスコミは問いかけました。

海外での日本企業のイメージには、残念ながら構造疲労に苦しみながらも、未だに海外に対して鉄のカーテンを下ろしている閉鎖的な印象がつきまといます。
日本語で、日本人によってのみ運営できる企業、それが日本企業、Japan Inc.のイメージなのです。
日本企業の多くは、こうしたことへの危機感がないわけではありません。しかし、そのことへの解決策として、日本企業の人事部は、TOEICなどのテストを通して社員の英語力の向上に取り組み、英語が話せるようになれば、企業は変化するものだと勘違いをします。しかも、TOEICを導入している企業の多くは、その点数を上げることのみに腐心し、企業ぐるみで新たな受験戦争を社内に作り出しています。

根本的な問題は、日本企業内の英語力の低さではないのです。
まず、理解しなければならないのは、日本と外国とを分けて考える企業人の閉鎖性なのです。海外に進出している日本企業は、海外を外国人に仕事を教え、自らの製品を販売する場所としてしか考えず、海外の知恵を組織に注入し、日本人と外国人とを分けるのではなく、同じ企業の仲間として多様性を共有してゆく姿勢をもてないのです。

日本企業はもっと海外から役員を招き、かつ海外のことは海外に任せる姿勢が必要です。
日本企業のスキャンダルが報道されるとき、いつものように、マスコミに向かって幹部が深々と頭を下げる映像が世界を飛び交います。こうした映像を通して、まさにセレモニーのように深く頭を下げながらも、未来へのしっかりとしたソリューションを公にできない伏魔殿のような組織のイメージが、世界の消費者に植え付けられてゆきます。

別に、日本企業はアメリカなどの企業の真似事をする必要はありません。それぞれ独自の企業文化があって何ら問題はないのです。個性ある企業があり、そこに個性ある企業文化が培われていることはむしろよいことです。ただ、それが海外と共有されないことが問題なのです。Japan Inc.はJapan Inc.の方程式のみを海外に伝授しようとしがちです。しかし、それは誰にも受け入れられないのです。
日本企業に勤務し、日本人に好かれる外国人には、そんなJapan Inc.に従順な羊のような人材が多く、彼らは高給で優遇されますが、便利屋としてしか活用されません。
逆に、個性が強く、どんどん自己主張をしてくるような人は、日本企業では長続きできません。しかし、彼らの方が世界的な視野でみれば、はるかに優秀で発想力も豊かなケースが多々あるはずです。

日本社会は高齢化が進んでいます。
それだけに、企業内でも組織を活性化させる新たな血液がいずれ不足してくるはずです。海外からの輸血はどうしても必要なのです。外国人と日本人との血液を分けて使用している多くの企業が、その方針を転換でき、世界に対してリベラルに対応できるようになったとき、世界からJapan Inc.の負のイメージが払拭されてゆくのです。

2017年10月10日火曜日

日本人が知っておきたい国際舞台でのタブーとその回避術とは


【ニュース】
Offer your information voluntarily to create a confortable environment to work in the global community.
訳:自らの情報を積極的に語り、世界の人と働きやすい環境を創造しよう。(山久瀬洋二のtwitterより)

【解説】
北アイルランドに進出している国際企業の多くに規則があります。
それは、会社の中で政治の話題をもちださないこと。このタブーをおかすと解雇されることもあるのです。
どうしてでしょうか。
北アイルランドでは、イギリスからの分離独立運動が伝統的にあり、それがテロ行為にまで発展した経緯があります。しかも、この対立の背景にはカトリックとそうでない人々との宗教上の確執もあるために事情は複雑です。
そして、イギリス側に立つ人と、独立した上でアイルランドに帰属したいと思うこれらの人々が同じ職場に混在しているのです。
北アイルランドの職場でそのタブーを破ると、会社が深刻な混乱にみまわれてしまう可能性があるのです。

最近話題になっているスペインでのカタロニアの独立問題についても同様です。スペインではカタロニアのみならず、北部のバスク地方にも独立運動が根強くあります。こうした事例は世界のいたるところでみられます。

このように、海外では政治の話題を職場に持ち込むことは非常識な行為とされるケースが多いのです。

アメリカの場合、こうした民族や宗教の対立によって多くの人が移民として流れ込んできました。アメリカのパワーはその多様性にあるといわれています。しかし、それは同時に政治的、宗教的な立場の異なる人々が常にそばにいることを意味しています。
例えば、アメリカで3つの背景を持つ人がいて、夕食を一緒にしているとします。日本人、東欧系アメリカ人、そして中東系のアメリカ人です。
まず、彼らはお互いに、相手がどういった背景をもった人かわかりません。日本人は外国からきているので、アメリカ人たちも多少はそのことを意識するかもしれません。
しかし東欧系のアメリカ人からみるなら、前に座っている人がどこから来た人かはわかりません。逆も真なりです。たまたま、何かの機会に相手が中東系の人だとわかったとします。しかし、その人がイスラム教徒なのか、さらに信仰を大切にしている人なのかどうか推測だけではわかりません。もしかすると、その中東系の人の出自は、イスラエルのために国を追われたパレスチナ難民かもしれません。
実は、東欧系のアメリカ人の多くはユダヤ人の背景をもっています。であれば、お互いに相手のことがわからない以上、安易に自らの政治的スタンスについては語れないのです。

このように世界の多くの国では宗教的な背景も異なれば、国際情勢や国内の情勢に対する見解が異なっている人々が同居しているのです。しかも、それが極めて深刻な歴史的な過去とつながっていることもしばしばです。それを知らずに一方的に自らのスタンスで政治の話をすれば、思わぬ不快感を相手に与えてしまう可能性があるでしょう。

さらに例をあげれば、アメリカの中には、宗教的背景によって人工妊娠中絶に強い不快感を持つ人がいます。そうした人に彼らに共通した常識と異なる会話をしてしまったために、相手に思わぬ抵抗感を与えてしまった事例もアメリカの職場では散見します。

ですから、ある程度知り合いになるまでは、政治的なコメントを控え、お互いの交流を進める中で、少しずつ相手への理解を深めながら話題を広げてゆくのが、ビジネス上のコミュニケーションのやりかたなのです。

よく日本人は日本人ではない人を外国人と呼ぶことで、日本人と世界の他の人々とを区別しようとします。しかし、ここで語ったように、実際の世界は、ただ日本と海外とを分離すればよいという単純なものではありません。つまり、日本人は多様な世界の中の一つの民族に過ぎず、日本人も含め、それぞれ異なった人種や民族、国籍の人がいることからくる繊細さを常に心に抱いておく必要があるわけです。
であれば、当然相手方の政治的な事情や宗教的意識について軽率には触れずに、相手との会話を通して、少しずつ相手の状況がわかってきた段階で、より深い会話をしてゆく繊細さが必要なのです。

ではどうすればいいのでしょうか。
逆に、自分から進んで開示した情報についてはプライバシーでなく、どんどん質問をしても構わないという意識が世界にはあります。例えば、職場で家族の写真をみたときは、むしろ遠慮なくこの写真の方は奥さんですかなどといった質問をしたほうが、相手との紐帯を強くできるのです。
しかし、そこに開示されていない情報はプライバシーに属します。そこを聞き出すことは却って相手の抵抗を招くはずです。宗教感、政治的スタンス、年齢、性的な趣向などは多くの場合、そのカテゴリーになるのです。

だからこそ、日本人には自ら進んで自分の背景や情報を提供し、相手にポジティブな好奇心を与え、会話を進めてゆくことをおすすめします。そうすれば、相手は開示された情報だと安心して、日本のことについて様々な質問をしてくるはずです。
海外の人との交流の基本は、相手に対して自らが進んで情報を開示することにあるのです。