2017年10月10日火曜日

日本人が知っておきたい国際舞台でのタブーとその回避術とは


【ニュース】
Offer your information voluntarily to create a confortable environment to work in the global community.
訳:自らの情報を積極的に語り、世界の人と働きやすい環境を創造しよう。(山久瀬洋二のtwitterより)

【解説】
北アイルランドに進出している国際企業の多くに規則があります。
それは、会社の中で政治の話題をもちださないこと。このタブーをおかすと解雇されることもあるのです。
どうしてでしょうか。
北アイルランドでは、イギリスからの分離独立運動が伝統的にあり、それがテロ行為にまで発展した経緯があります。しかも、この対立の背景にはカトリックとそうでない人々との宗教上の確執もあるために事情は複雑です。
そして、イギリス側に立つ人と、独立した上でアイルランドに帰属したいと思うこれらの人々が同じ職場に混在しているのです。
北アイルランドの職場でそのタブーを破ると、会社が深刻な混乱にみまわれてしまう可能性があるのです。

最近話題になっているスペインでのカタロニアの独立問題についても同様です。スペインではカタロニアのみならず、北部のバスク地方にも独立運動が根強くあります。こうした事例は世界のいたるところでみられます。

このように、海外では政治の話題を職場に持ち込むことは非常識な行為とされるケースが多いのです。

アメリカの場合、こうした民族や宗教の対立によって多くの人が移民として流れ込んできました。アメリカのパワーはその多様性にあるといわれています。しかし、それは同時に政治的、宗教的な立場の異なる人々が常にそばにいることを意味しています。
例えば、アメリカで3つの背景を持つ人がいて、夕食を一緒にしているとします。日本人、東欧系アメリカ人、そして中東系のアメリカ人です。
まず、彼らはお互いに、相手がどういった背景をもった人かわかりません。日本人は外国からきているので、アメリカ人たちも多少はそのことを意識するかもしれません。
しかし東欧系のアメリカ人からみるなら、前に座っている人がどこから来た人かはわかりません。逆も真なりです。たまたま、何かの機会に相手が中東系の人だとわかったとします。しかし、その人がイスラム教徒なのか、さらに信仰を大切にしている人なのかどうか推測だけではわかりません。もしかすると、その中東系の人の出自は、イスラエルのために国を追われたパレスチナ難民かもしれません。
実は、東欧系のアメリカ人の多くはユダヤ人の背景をもっています。であれば、お互いに相手のことがわからない以上、安易に自らの政治的スタンスについては語れないのです。

このように世界の多くの国では宗教的な背景も異なれば、国際情勢や国内の情勢に対する見解が異なっている人々が同居しているのです。しかも、それが極めて深刻な歴史的な過去とつながっていることもしばしばです。それを知らずに一方的に自らのスタンスで政治の話をすれば、思わぬ不快感を相手に与えてしまう可能性があるでしょう。

さらに例をあげれば、アメリカの中には、宗教的背景によって人工妊娠中絶に強い不快感を持つ人がいます。そうした人に彼らに共通した常識と異なる会話をしてしまったために、相手に思わぬ抵抗感を与えてしまった事例もアメリカの職場では散見します。

ですから、ある程度知り合いになるまでは、政治的なコメントを控え、お互いの交流を進める中で、少しずつ相手への理解を深めながら話題を広げてゆくのが、ビジネス上のコミュニケーションのやりかたなのです。

よく日本人は日本人ではない人を外国人と呼ぶことで、日本人と世界の他の人々とを区別しようとします。しかし、ここで語ったように、実際の世界は、ただ日本と海外とを分離すればよいという単純なものではありません。つまり、日本人は多様な世界の中の一つの民族に過ぎず、日本人も含め、それぞれ異なった人種や民族、国籍の人がいることからくる繊細さを常に心に抱いておく必要があるわけです。
であれば、当然相手方の政治的な事情や宗教的意識について軽率には触れずに、相手との会話を通して、少しずつ相手の状況がわかってきた段階で、より深い会話をしてゆく繊細さが必要なのです。

ではどうすればいいのでしょうか。
逆に、自分から進んで開示した情報についてはプライバシーでなく、どんどん質問をしても構わないという意識が世界にはあります。例えば、職場で家族の写真をみたときは、むしろ遠慮なくこの写真の方は奥さんですかなどといった質問をしたほうが、相手との紐帯を強くできるのです。
しかし、そこに開示されていない情報はプライバシーに属します。そこを聞き出すことは却って相手の抵抗を招くはずです。宗教感、政治的スタンス、年齢、性的な趣向などは多くの場合、そのカテゴリーになるのです。

だからこそ、日本人には自ら進んで自分の背景や情報を提供し、相手にポジティブな好奇心を与え、会話を進めてゆくことをおすすめします。そうすれば、相手は開示された情報だと安心して、日本のことについて様々な質問をしてくるはずです。
海外の人との交流の基本は、相手に対して自らが進んで情報を開示することにあるのです。




2017年9月25日月曜日

アメリカ人の意識を色濃く受け継ぐデモインというところ


【ニュース】
For our better ordering, and preservation and furtherance of the ends aforesaid; and by virtue here of to enact, constitute, and frame, such just and equal laws, ordinances, acts, constitutions, and offices, from time to time, as shall be thought most meet and convenient for the general good of the colony; unto which we promise all due submission and obedience.
【訳】我々がより良い秩序を維持し、その目的を達成するために団結し、その時々の必要に応じ、植民地全体の利益のために最も適切と判断される、公正で平等な法律、命令、法令を発し、憲法を制定し、政府を組織する。これらの誓約に我々全ては同意し従うことを約束する。(メイフラワー誓約より)

【解説】
一般的にアメリカと聞いて多くの人がイメージする場所といえば、ニューヨーク、グランドキャニオン、ハリウッドなどかもしれません。
もちろん、これらの地域は広大なアメリカの中のごく一部にすぎません。もっと言えば、外国人が頻繁に訪れる地域は、アメリカの中でも極めて限られているのです。

以前ボストン、ニューヨーク、ニューオリンズ、サンフランシスコ、あとは皆クリーブランドという言葉を聞いたことがあります。これは、最初にピックアップされた4つの都市以外はクリーブランドのように、中心街に高層ビルがあり、あとはショッピングモールのある郊外が広がっているという意味で、逆をいえば、アメリカで個性のある都市はこの4つだけだということを皮肉った表現となります。
ハリウッドのあるロサンゼルスも、街の構造はといえば、確かにクリーブランドに似ています。

アメリカのど真ん中にデモインという町があります。アイオワ州の州都です。大平原の中にある都市で、ある意味で一般にアメリカ人が典型的なアメリカとしてイメージするのがこの州であり州都デモインなのです。
アメリカの選挙でのこの地域の票の行方は、常に話題になります。また、新しい商品の売れ行きやテストマーケットのときも、ここでの結果に注目が集まります。というのも、デモイン周辺こそが最も典型的で普通なアメリカとされているからです。

では、そんな「普通のアメリカの普通のアメリカ人」のイメージとはどのようなものでしょうか。
比較的早起きで、朝コーヒーとハムエッグ、そしてトーストをかじって車で出社、8時ごろから敷地面積の大きな平屋のオフィスの自分のブースで働きます。あるいは工場での生産ラインにつきます。そして、午後は5時前にはすでに退社の準備を整えて帰宅。家族と共に夕食をとるときは、皆で手をつないでその日が無事に終わったことを神様に感謝。夕食は家族団欒のもっとも大切な儀式です。その後、日本の一般の家庭と同じように、テレビをみたり、人によっては書斎で残った仕事を片付けたり。時には、夜にタウンミーティング(街の寄り合い)に出席して、地元の学校のスポーツイベントなどについての打ち合わせも行います。
日本と大きく違うのは週末、特に日曜日です。それぞれの家が所属する教会に行ってお祈りをして、時には教会主催のイベントに参加します。彼らにとって教会とのつながりはプライベートな人間関係を促進する意味からも最も大切な活動です。

これがデモインの郊外の人のイメージです。
Middle of Nowhereという言葉あります。これは、見渡す限りの大草原、大平原にある小さな町。どこにでもあって、特定できないものの、アメリカ人がこう言えばすぐにイメージできる一般的なアメリカの風景です。

ここが大切なことは、この一般的なアメリカのイメージとして登場する人々の背景が、キリスト教徒でかつプロテスタントだということです。ヨーロッパでの宗教的な軋轢や迫害を逃れて新大陸に渡ってきたプロテスタントが、この地域の人口の過半を占めているのです。アメリカの社会を理解するには、このプロテスタントの文化への知識が必要です。

このプロテスタントのイメージを代表するのが1620年にメイフラワー号に乗ってボストンの郊外に移住してきたピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々なのです。彼らはイギリスの国教会に組み込まれることを拒否した清教徒、つまりプロテスタントの一派です。彼らが移住してきた場所で生活するために誓約したのが「メイフラワー誓約」と呼ばれる一枚の紙でした。冒頭でのその一部を紹介しました。そこでは入植地で自らの自治の元、法律を定め、信仰を持ってしっかりと生活を切り開くことが約定されています。
これは、彼らがカトリックやイギリス国教会のように大きな教会組織に属するのではなく、神への個人の信仰によって結ばれる者のみの共同体で村を作り、生産を行うことを記したものです。この独立と自治の精神がアメリカ人の精神構造の支柱となってゆくのです。

ですからアイオワ州に住む典型的といわれるアメリカ人は、大きな政府からコントロールされることを嫌い、自分のコミュニティのことは自分たちで決め、自らの生活を守るためには銃を持つことも必要と思います。信仰を共有する自分たちの教会を集合の場として、日曜日に集い、牧師の話を聞きます。メイフラワー号で移住してきた人々の伝統が今でもいきているのです。実は、彼らの多くが、アメリカの利益を優先しようと説いたトランプ大統領を選んだ人々なのです。

トランプ大統領の政策への是非はさておき、メイフラワー号の頃から時が経ち、彼らが上陸してきた地域は世界各国からの移民で埋め尽くされ、当時の伝統はむしろアメリカの内陸で保たれたのです。

長い時の流れの中で文化が伝承されるとき、興味深いことが起こります。
ある文化が迫害や宗教の伝道で他の地域に移動したとき、むしろその移動した地域の方で、元々の地域よりしっかりと伝統が維持され、世代から世代へと受け継がれることがあります。アメリカの多くの地域には、18世紀や19世紀に移住してきた人々の伝統が故郷よりもしっかりと伝承され、いきづいているところがあるのです。
アメリカ社会でのプロテスタントを信奉する人々の意識はまさにその事例といえましょう。彼らは一般的にヨーロッパの人々よりも熱心な信者なのです。この背景が我々が外からみても理解できない、アメリカ人独特の行動様式や常識を形成しているのです。


2017年9月11日月曜日

イギリスとスコットランドをめぐる千年の「縁


【ニュース】
The British monarchy is the direct successor to those of England, Scotland and Ireland. There have been 12 monarchs of the Kingdo m of Great Britain and the United Kingdom since the merger of the Kingdom of England and the Kingdom of Scotland on 1 May 1707.
【訳】イギリス王室はイギリス、スコットランド、そしてアイルランドの直接の継承者で、1707年5月1日にイングランドとスコットランドの王室が合併して以来、12代の君主が君臨している(ウィキペディアより)

【解説】
イギリスという国を「イギリス」と呼ぶ日本人。その語源はというと、戦国時代から江戸時代にかけてのポルトガル語やオランダ語での「イングランド」を意味する語彙が変化したものだといわれています。元々日本人はイギリスのことをエゲレスと呼んでいたことはよく知られています。しかも、当時の日本人には、イギリス本国の内政事情は伝わっていませんでした。
イギリスはイングランドとスコットランド、さらにはウエールズやアイルランド(ここはイギリスの植民地でした)に分かれていて、それぞれ別の国だったという状況は詳細には伝わっていなかったのです。
これがイギリスを一つの国家として意識した日本人のイギリス観の原点となりました。

ポルトガル人が来た頃、日本は戦国乱世でした。当時日本にいろいろな国があって、覇権を争っていた事情がヨーロッパに詳細に伝わらないのと一緒で、彼らは日本のことを一括してJapan(ポルトガル語としてJapao)として意識したのです。

今、イギリスの正式な国名は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland です。ちなみに、一般的にはこの正式名称の前半部分を省略してUKと呼び、正式名称として使用することもよくあります。イギリスの事情を理解するには、この国名の意味をしっかりと把握することが大切です。
まず United Kingdom ですが、これは文字通り王室が合併したことを意味します。スコットランドとイングランドは元々別の国家でした。しかし、当時ヨーロッパの王国は皇族同士が政略結婚によって複雑にネットワークしていたのです。例えば、オーストリアを統治していたハプスブルグ家の王(神聖ローマ帝国の皇帝)は、スペインの王室と姻戚関係にあったことから、一時スペインがハプスブルグ家に統治されていたこともあったのです。その後、複雑な経緯を経てスペインの王室と同様の姻戚関係にあったフランスの王室がスペインの王位を継承します。皮肉なことに、フランスは1789年から本格的にはじまったフランス革命、さらには19世紀におきた政変でブルボン朝は消滅します。しかし、スペインの現国王フィリッペ6世はれっきとしたブルボン家の末裔なのです。

話は戻りますが、スコットランドとイングランドの王室がそうした姻戚関係の確執の末に一つになったのは1707年のことでした。この両国の合同こそが、United Kingdom ということになります。そして、その時に正式な国の名称となったのがグレートブリテン Great Britain だったのです。

では Britain とは何のことでしょうか。
これは、イギリス本土の島の名前です。さらにお隣のアイルランドや周辺の島を合わせるとブリテン諸島ということになります。ギリシャやローマ帝国の頃に、辺境のこの島をそのように呼んでいたことが語源です。ちなみに、このブリテン島に北欧から移住して王国を造った人々がアングロサクソンと呼ばれる人々で、ローマ帝国の崩壊以降の混乱で、ブリテン島に居住していた人々は時とともにフランスにも逃れてきました。そうした人々の住む地域がフランスのブルターニュ(ブリテンの人々の住む地域)ということになります。

1066年にフランス王の臣下であったノルマンディ公が王族同士の姻戚関係からイングランドでの王位継承を主張し、イングランドに進攻し、王朝を開きます。以来、フランス王とイングランド王との間にも、かつノルマンディ公の進攻を免れたスコットランドとイングランドとの間にも様々な摩擦が絶えなかったのです。

スコットランドは現在 EU に残り、より大陸とのつながりを強くしたいと願っています。それに対してイギリスという国家、すなわち Great Britain は EU からの脱退を決議しました。
イングランドは中世に100年戦争を経てフランスから正式に分離されます。しかし、スコットランドの王室はその後も大陸と深いつながりを持ち続けていました。実はイギリスの繁栄を築いたといわれる16世紀後半のエリザベス一世の時代、この政治的な争いが王族の血で血を洗う確執に発展し、スコットランドの女王であったメアリー・スチュアートがエリザベス一世に処刑されたこともありました。
しかし、現在のエリザベス二世の系譜をたどれば、スコットランド王室の血がしっかりと流れていることがわかります。

以上のような背景を理解しないまま、その昔日本はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland のことを「エゲレス」と呼び、それがイギリスへと変化したのです。

これからEU離脱をめぐり、スコットランドがどのような対応をするのか、国王の絆だけで結ばれているイギリスという国家の背景は思ったより複雑なのです。

2017年7月31日月曜日

『正当な英語』にこだわる日本人の大きな落とし穴



言語教育を考えるとき、そもそも正当な表現や発音は何なのかということに人々はこだわってしまいます。
13億人以上が使用する中国語を例にとれば、最もスタンダードな中国語は北京語であるとされ、人々は北京語のことを「普通話」と呼んでいます。
しかし、長い中国の歴史をみるならば、北京語が標準語になったのはごく最近のことなのです。現在の北京語は、17世紀に満州族が中国に侵攻して打ち立てた清の時代にできあがったといわれています。元々の中国語に満州族の発音などが混ざり、北京語となったという説が有力なのです。

では、本来の中国語のルーツはというと、現在の華中あたりの中国語ではなかったかといわれています。今では、「普通話」以外の中国語は方言とされていますが、実は方言の方が正当な中国語だったというわけです。
日本語では漢字を使いますが、いうまでもなく、これは中国から輸入したものです。そして漢字の音読みの中に中国語の古い発音が残っていることを知っている人はあまり多くないようです。漢詩は中国語の発声の美しさを意識して作詞されているといいますが、現在の北京語では漢詩が頻繁に造られていた唐の時代の発声を再現することはできないのです。むしろ華中の方言や日本語の音読みの中にそのヒントがあるのです。
中国人の多くが方言と言われている地元の発音や発声にこだわっている理由は、本来正当ではない北京語への反発もあるのだと、中国の友人が語ってくれたことを思い出します。
これは日本語でもいえることかもしれません。正当な日本語は東京で話されている言葉かというと、そうではないはずです。元々京都が日本の首都であったわけですから、関西弁の中にそのルーツがあるのかもしれません。
こうしたことを考えると、正当な言語というのは、時の権力や為政者の意図により時代ごとに変化してきたことがわかります。

以上の背景をもとに、英語について考えます。
英語とは、イギリスに起源を持つ言語だといわれていますが、今のイギリスで話されている英語が古来の発音やアクセントをそのまま維持しているかというと、必ずしもそうとはいえないのです。むしろ、イギリスから移民として渡ってきたアメリカ人が受け継ぐ米語の中に、元々の英語の発声の起源をみいだすことができるという専門家も多くいるのです。

正当な言語。それは、現在最も普通に喋られている言葉にすぎません。
さらにいうならば、国家や民族としてのアイデンティティを維持するために、意図的に標準化されていったのが「正当な言語」なのです。
そもそも、世界で喋られる言語としての英語をみた場合、米語であろうが、英語であろうが、それを正当と決めてしまうこと自体に無理があるかもしれません。インド人が強いアクセントの英語を喋るといいますが、インド人からしてみれば、それがごく当たり前の英語というわけです。

そうした視点でこれからの日本の英語教育をみた場合、アクセントや発音にこだわりすぎ、日本人の英語とはなにかいう側面を忘れた場合、そこに大きな落とし穴があることを、ここで強調したいのです。
英語が世界言語である以上、米語のアクセントや発音に合わせ、少しでも似せてゆくことより、日本人のアクセントを世界に流通させる努力も必要なのです。それが日本の国益にもつながることをどれだけの人が意識しているでしょうか。
さらにいうなら、自動翻訳や音声認識に関する技術が世界で共有されつつある現在、そうしたサービスに日本人のアクセントが対応できるようにしてゆく努力を怠ってはいけないのです。英語の発音というビッグデータに、日本人のアクセントをしっかりと組み込んでゆく努力を我々は真剣に考える必要があります。それを怠ると、日本人がコンピュータに向かって喋っても、それが十分に認識されないという不利益につながってしまいます。

日本人は、明治維新以来、欧米に自らを合わせてゆくことに注力してきました。今、英語教育が見直されようとしています。話せて聞けて、コミュニケーションのできる英語を教えるようにという英語教育改革は歓迎されることです。
ただ、そのときに、発音やアクセントにこだわりすぎ、やれ舌の位置だの唇の動かし方だのを完璧にしようとすれば、むしろコミュニケーションそのものの能力開発が後回しになってしまいます。
日本人のアクセントで構わないので、通じて分かり合う英語力を磨く方が、はるかに大切なのです。

正しい発音やアクセントという考え方は、米語を「正当な英語」と意識してはじめて成り立つ概念です。
今、大切なことは、世界に太刀打ちできる日本人を育てることです。「正当な言語」にこだわることではなく、日本人のアクセントがあっても堂々と世界の人々と分かり合える人材を育成することが求められているのです。

それが、ビッグデータでの日本人英語の課題とリスクを考える上でも、忘れてはならないことなのです。

2017年7月4日火曜日

いまだに世界からの人材を育成できない日本企業の課題とは


【ニュース】
Harmony or “Wa” is a basic Japanese value defined as the ability of people to cooperate and work together well.
訳:和の精神は、人と人とがいかに心地よく、ともに過ごし、働くかということを示す、日本の基本的な価値観です。(「日本人の心」より)

【解説】
80年代のニューヨーク。
タイムズスクエアに行けば、そこには日本企業の広告が溢れていました。
そんなタイムズスクエアの雑踏を歩けば、ケチャップ詐欺やワインボトル強盗なるチンピラが、日本人の旅行客を目当てに、キャッシュを頂戴する悪さをしていました。
ケチャップ強盗とは、狙いを定めた人にケチャップをかけて、すみませんと被害者の服を拭いている間に、バッグからお金を頂戴するという連中です。そして、ワインボトル強盗とは、獲物と定めた旅行者にわざとぶつかって、その拍子に持っていたワインの瓶を道に落とし、高級なワインを台無しにされた、弁償しろと言ってキャッシュを奪うワルたちです。
これはニューヨークが治安面での課題が多かった時代のエピソードです。
さらにいえば、ニューヨークのみならず、アメリカ全体がベトナム戦争以降の様々な社会問題、人種問題、そして経済的な地盤沈下に悩んでいました。アメリカの知識人の多くが、アメリカという国家が混乱の中で世界に追いつかれ、追い越されてゆくのではと不安を抱いていました。アメリカの様々な価値観そのものに疑問を抱く人々も多くいました。そんなアメリカに挑戦してきた最大のライバルとして羨望と嫉妬の対象となったのが日本だったのです。

戦後の混乱を克服し、世界でも群を抜いた経済大国になった日本。80年代はまさにそんな日本の絶頂期でした。実際、日本のノウハウを探求しようと多くの人が日本について学んでいました。
マンハッタンの国連ビルの側にジャパン・ソサエティという、日本文化をアメリカに紹介する財団があります。そこでは日本語の講座も開設していますが、当時講座の受講希望者が3,000人を超え、多くの人が予約待ちの状態だったのです。
現在のアメリカでの知日派と呼ばれる人々は、その頃に日本語を学び、日本と交流をもったのです。それは、第二世代の知日派グループとなります。第一世代は、戦後に占領下の日本を訪れたアメリカ軍やその関係者たちでした。第一世代はアメリカと日本との戦争の結果によって、第二世代は経済交流によって育まれたのです。

今、日本語熱も日本への関心も過去のものとなり、逆に日本はグローバル化の波に取り残された、老朽化した経済大国というイメージの方が定着してしまいました。実は、皮肉なことに、そのイメージを最初に抱いたのも、この第二世代の知日派たちだったのです。
それは、日本という異文化社会への好奇心と憧れの後を見舞った失望でした。

当初、日本式のビジネス・マネージメント、そしてコミュニケーション・スタイルは彼らにとって驚きの発見でした。グループでしっかりコンセンサスをとって、「和」 Harmony の精神のもと、それぞれが自らの責任領域の中で忠実にミッションを完遂してゆく日本企業の姿勢は、個人プレーとプレゼンテーションが優先のアメリカ型の常識とは真逆のものだったのです。
しかし、第二世代の人々の多くは、そんな日本型ビジネス文化を直に経験したとき、自らのルーツとのあまりの差異に戸惑ったのです。そして、日本企業の中での自らの立ち位置を見出せないまま、日本社会から離れていったのでした。
これには、日本側にも大きな責任がありました。今でもそうですが、多くの日本企業は、海外からの人材を受け入れたとき、彼らが自らに合わせるよう学習することを求め、彼らの強みをそのまま活用しようとしないのです。
従って、自らを殺し、日本企業に忠実に自分を合わせてゆける人のみが、組織に残り、いわゆる英語が使える「便利屋」として使われてきたのです。
それに失望した人々が日本を去ったのです。まして、バブル経済が崩壊した後の日本には、彼らは魅力を感じなかったはずです。

日本とは異なる文化背景をもつ海外からの人材は、日本企業からみれば確かにマネージしにくいはずです。しかし、日本に合わせるのではなく、彼らの個性と才能をしっかりと活かせる柔軟な組織を造ることができれば、日本企業はさらに世界に根をおろしてゆくことができるはずです。
日本企業に忠実で英語のみを武器としている外国人社員ではなく、世界のダイナミックな経済活動の中で活用できるグローバルな人材をいかに海外から受け入れ育ててゆくか。日本企業にはその見極めと、ノウハウがなかなか培われないのです。

バブルに浮かれた「お金持ち日本人」を目当てにしたケチャップ詐欺とワインボトル強盗。そんなワルのみならず、ビジネス上の動機に押されて真摯に日本を学習しようとした人々までが、日本を離れていった今、知日派の第三世代が世界で枯渇しようとしています。
日本人が、海外の知恵をいかに取り入れ、融合させてゆくかは、中長期的にみれば、そうした日本を知る人を「第三世代」としていかに大切に育ててゆくかという課題に直結しているのです。



2017年6月20日火曜日

「少年少女と酒場?」その背景にある価値観とは



【ニュース】
Dry county is a county in the United States whose government for bids the sale of any kind of alcoholic beverages.
訳:ドライ・カウンティ(禁酒群)とは、アメリカで一切の種類の販売を禁止している政府のある地域のこと(ウィキペディアより)

【解説】
ラスベガスでのことです。
中学一年生の甥が、ホテルに併設されたカジノの椅子に座っていると、係りの人がきて、子供をスロットマシーンの前に座らせてはいけないよと注意を受けました。
当然のことと思い、甥を促し別の場所に移動させました。

「そうだね。アメリカでは子供の世界と大人の世界とを明確に区別するので、注意が必要だよね」
私のアメリカ人の友人がその話をきいてこのようにコメントします。

これを聞いたスペインから来た友人が興味深い発言をしました。
「スペインでは、バーが子供の立ち入りを拒否したことが問題になったケースがあるんだよ」
バーはお酒を飲むところ。つまり大人の空間のはずです。
子供が入るところではないという暗黙の了解があるものと思っていただけに、この事実には驚きました。
「つまりね。子供にはジュースをだせばいいだけのこと。それを、立ち入りを拒むということは民主的ではない。実はこの件、司法の判断も子供の立ち入りを認めるべきということになったんだ」
「うそでしょ」
アメリカ人はびっくりします。
「お酒を飲む場所に子供を連れてくること自体、アメリカでは厳しく弾劾される行動だよ」

アメリカ人とスペイン人のこの対話は、バーに子供をいれるべきかどうかというテーマを超えた文化の違いを語ってくれます。
まず、この会話の向こうには、多くのアメリカ人の心の奥底にあるお酒への「罪」の意識が見え隠れします。1920年代に禁酒法を制定したことのあるアメリカは、伝統的にプロテスタントが人口の過半をしめる国家です。
個人の節制と勤勉こそが信仰の証とするプロテスタントの教義は、酩酊に対する嫌悪を社会に根付かせました。
この嫌悪感とアルコールの弊害から子供を守ろうという人権の問題とが融合したのが、バーやカジノへの子供の立ち入り制限の背景にあるというわけです。

「でも、日本でも子供が盛り場に入ることは非行とみなされるよ」
私がスペイン人の友人にそういうと、
「子供が親の監督下にいればいいわけだよね。だから、親と子供が一緒にバーにはいることは問題ないはず。しかも、日本人は一般的には酔っ払うことに極めて寛容だよ。欧米ではふらふらして街を歩いたり、電車に乗っただけで、自分をコントロールできない危ない人だとみられかねないのに、日本ではそんなことはないよね」
と彼は解説します。
「しかし、何かしっくりと理解できないものがあるな」
アメリカ人の友人はまだ納得できずにいます。
「スペインはカトリックの国なんだ。僕たちは思うんだ。そもそもワインはキリストの血とされてきたじゃない。聖書でもお酒は非難されていないのに、プロテスタントの人たちはどうしてあんなにお酒を目の仇にするのかって」

この議論の向こうに、プロテスタントの道徳律の影響を強く受けたアメリカと、カトリックの影響を未だに色濃く残し、長年スペインの植民地だったメキシコとの対立が見えてきます。
ドナルド・トランプがメキシコからの移民を制限しようとしたことと、中東からの入国を差し止めようとしたことの背景に、この宗教的対立からくる偏見が本当になかったのでしょうか。
安い賃金で働く不法移民がアメリカ経済を破壊し、中東からイスラム教過激派のテロリストがやってくるという表向きの理由だけを鵜呑みにできなかった人は多かったはずです。

アメリカの中には、地方に行けばドライ・カウンティDrycountyと呼ばれる地域が今でも残っています。この地域ではお酒を販売したり買ったりできないのです。
これに対して、お酒を自由に売買できる地域はウエット・カウンティWetcountyと呼ばれています。こうした地域がドナルド・トランプのみならず、アメリカの保守の票田となっているのです。
バーに子供をいれるべきかどうかという道徳上の問題の是非はともかくとして、少なくともプロテスタンティズムを理解することがアメリカの政治や社会を理解する鍵となることだけは間違いないようです。










2017年6月13日火曜日

アメリカとメキシコが対立する本音とは ~ バハ・カリフォルニアでの夕べより~



メキシコからの不法移民や安価な商品の流入に対するトランプ大統領の強硬策が話題になって久しいですが、CNNが面白い特集をアメリカで報道しました。
それは国境警備にあたる国境警備隊border controlの自殺率が高いという報道です。
「それはそうだよね。貧しく、厳しい生活をしている人がやっとの思いで国境までやってくる。なんとか、入国しようと必死になっているところを捕まえて、強制送還するんだろ。精神的にはストレスのある仕事だと思うよ」
先週、アメリカ人の友人とサンディエゴからカリフォルニアコーストを通って、メキシコのティワナTijuanaに陸路入国した後、こんな話をしました。国境はメキシコ側にもフェンスはありますが、アメリカ側にはさらにがっちりした壁が国境に沿って続いています。

「昔似たようのものを見たことがあるよ。そう、90年ごろまであった東西ドイツを隔てた壁、それに今でもあるイスラエルでユダヤ人居住区とパレスチナの人とを隔てた壁。あの二つの壁にそっくりだよ」
国境のフェンスに沿って並走するメキシコ側のハイウエイを走りながら、そんなことを友人に語りました。

翌日、メキシコ人の仕事仲間と夕食をとっていたとき、彼が面白いことを口にしました。
「ねえ、みんなアメリカが、例えばニューヨークやロサンゼルスがアメリカ大陸の文化の中心だと思っているだろう。でもね。その昔はテオキワカンTeotihuacanが中心だったんだよ」
「テオキワカンってメキシコシティの郊外にある古代インディオ(メソアメリカ)文明の遺跡のことだろ」
「そう。実はあそこの遺跡を調べていると、遠くは南米のチリやアメリカのアリゾナ州あたりから交易の商人や巡礼が来ていた証拠がたくさん出てくるんだ。人々はアメリカ大陸のあちこちから、あそこを聖地として崇めてやってきていたのさ」
「でも、今、メキシコはその後やってきたスペイン人に征服され、言葉もスペイン語になってしまった」
「そうだよ。でもね。変じゃない?よくアメリカ人はメキシコに行くと英語が通じなくなるって文句をいうだろ。確かにメキシコシティに行って英語を話してもよく通じないよね。でも、考えてみな、ここはメキシコだよ。僕は逆にアメリカに行ったら英語しか通じないし、スペイン語が役に立たない。困ってしまうよって言いたいよ。彼らは常にアメリカを中心に見てものを言っている。我々は、そんな彼らと違って、我々こそ、アメリカ文明の中心だというテオキワカンの発想が必要だってわけさ」

メキシコに行くと、征服民族であるスペイン人が拓いたスペイン風の街並みが美しいので、時間があればよくそんなオールドタウンを訪れます。
そこには、必ず荘厳なカトリックの大聖堂cathedralがあります。いかに彼らが中南米を植民地化し、そこの富を収奪するために布教に力をいれていたかがわかります。そう、メキシコはカトリックの国なのです。
そして、アメリカはプロテスタントが先に入植し、開拓して国家の礎を作りました。宗教戦争以来、様々な形で反目していた、キリスト教の二つの宗派が、新大陸でも南北でにらみ合っていたことになります。

ですから、アメリカ合衆国では当初同じ白人系でもカトリック系のアイルランド人やイタリア人の移民は差別の対象となっていました。アメリカの南、メキシコ人への偏見の原点はこの宗派の対立とは無縁ではないようです。

「そうだよね。宗教改革がヨーロッパで起こって、それまで特権を享受していたカトリック教会はそれができなくなる。財政的にも、権威の上でも新しい領土が必要になった彼らは、中南米にやってきた。そして、そんなカトリック教会と対立し、時には迫害を受けていたプロテスタントの人々や、ユダヤ系の人々が北米にやってきて、新天地で生活をはじめた。今でもその意識の対立が無意識の偏見や敵愾心の原点というわけか」
「ドナルド・トランプは、ビジネスマン。そしてプロテスタントの一派である長老派Presbyterianの家族の出身だったね。子供の頃から北アメリカの移民の本流だったわけだよ。プロテスタントは教会の権威を否定し、自分と神とを直接つなげようという運動だったから、カトリックのように荘厳な聖堂を必要としなかった。むしろ、その分、コツコツと勤勉に働くことで、蓄財をすることを良しとしていた。だから、アメリカは経済的に発展できたということか」
「そんな、アメリカに旧教の色濃いメキシコからの人が、しかも貧困者が入ってくることが、感情的に嫌なのだが、その本音は言い難い。だから、不法移民と安い商品という言葉にすり替えて、この21世紀の万里の長城を作ったというわけさ」

メキシコの太平洋沿岸はバハ・カリフォルニアといい、訳せば「下(しも)カリフォルニア」ということになります。ここには、美味しいワイナリーも多く、アメリカから休暇を楽しむ人もやって来ます。そんなワインと料理に舌鼓を打ちながら、トランプの政策をメキシコ人と批判するのは、今ではごく一般の話題となっているのです。