2018年5月22日火曜日

パレスチナの人々と黒人、そして一人の日本人


【ニュース】
Israel and Evangelicals, New U.S. Embassy Signals a Growing Alliance
訳:イスラエルと福音主義者、新しい大使館の設立はその緊密な同盟を示唆している
(New York Timesより)

【解説】
久しぶりに、大分県の杵築に里帰りをしました。
そこは、松平家が治めていた3万2千石ほどの静かな城下町です。
ここの家老職を勤めた中根家に、明治になって中根中(なかねなか)という人が生まれました。彼は明治時代のキリスト者として、この地に今も続く杵築教会の創立にも深く関わっていました。

そんな彼がアメリカに渡り、黒人運動の指導者へと変身します。
1930年代、FBIは彼がデトロイトなどで黒人運動を組織し、暴動を煽動したとして、彼のことを厳しくマークしていました。一度は国外退去処分になり、日本に帰国しますが、すぐにカナダに渡り、そこからアメリカの同志と連絡をとり、運動を継続したのです。その後偽名を使ってアメリカに潜伏し、FBIに逮捕され、第二次世界大戦が始まる頃は獄中の人だったのです。
彼は釈放後デトロイトで余生をおくり、1945年に他界したといわれています。面白い人物です。

中根はその奔放な性格から、厳格な生活を要求するメソジスト派の教会から破門されたといわれています。
渡米した中根は、西海岸やハワイを中心に戦前日本から移住してきた貧しい日系移民に接します。彼らは、アメリカで厳しい偏見と差別に晒されていたのです。中根はそんな日系人と共に、アメリカで同様の状態にあった黒人系の人々の生活に興味をもったのでしょう。やがて彼は社会運動へ身を投じるようになったのです。
戦前日本でキリスト教を伝道した人々の多くはアメリカのプロテスタント系の牧師でした。そんなキリスト教を信ずる人々が、アメリカでは日本人や黒人を差別しているという矛盾を突きつけられたわけです。

戦争中、中根はアメリカで暴動を組織するように、日本軍から密命を受けていたのではという嫌疑を受けます。
実際、彼は日本の国粋主義団体と関係があったといわれていますが、軍部とどのようなつながりがあったかは定かではありません。
しかし、彼が黒人暴動を何度も組織し、それがアメリカ中西部の都市部の不安定要因となったのは事実です。

そして、彼と接触した多くの黒人の活動家が、その後の黒人運動を担ってゆきました。その一人が、Nation of Islam という組織を育てたエライア・モハメド Elijah Muhammad です。Nation of Islam は、アメリカの黒人はイスラム教徒の子孫だという信条をもち、白人への激しい憎悪を表明した団体でした。
Nation of Islam の影響を受け、戦後に黒人の地位向上のために活動した人物にはマルコムXやモハメド・アリなどがいるのです。

アメリカでは、移民同士の確執と摩擦がその歴史を作ってきました。
差別や偏見を克服するために社会運動がおこり、法制度が整備され、教育活動が進化します。その進化のサイクルがアメリカ社会を形成しました。その過程で、差別する人と差別を受けた人々の憎悪が人種対立の原因ともなりました。
Nation of Islam の活動は、そうした憎悪を助長し、白人系の人々への逆差別や偏見を助長したという批判も多くあります。人によっては彼らのことをテロリストだと糾弾します。中根中の行動もそうした批判の対象となりました。

面白いことに、大正時代の作家有島武郎など、日本の文化人で元々はキリスト教の影響を受けながら、渡米後アメリカ社会の矛盾を見つめるうちに社会主義や国家主義へと転身した人は少なくないのです。

ところで、60年代から70年代にかけて、黒人の活動家がキリスト教を棄て、イスラム教に転身していることは、中東の人々の間にも少なからぬ影響を与えました。
戦後アメリカは、中東問題でイスラエル側に立ち、混迷するイスラム社会の憎悪の標的となりました。そして今ではアメリカは、イスラム教過激派のテロの対象となっています。Nation of Islam とこのテロ活動とは全く無縁です。しかし、奴隷としてアフリカから強制移住させられた人々の子孫である黒人が自立するとき、白人系の人々から伝道されたキリスト教を否定した経緯と、イスラエル建国後に土地や財産を失ったパレスチナ難民が、イスラエルに対して憎悪を抱き、イスラム教徒としてのアイデンティティにこだわるようになった経緯を比較すれば、そこにアメリカに対する人々の共通した意識がみえてきます。

今、トランプ大統領は、アメリカ国内の福音主義者 Evangelical と呼ばれるプロテスタント系保守派の意向に支えられながら、エルサレムにアメリカ大使館を移動させ、イスラエルのパレスチナへの支配を事実上公認する政策を打ち出しています。それが今回紹介したヘッドラインです。
そうした状況下で、ガザ地区に押し込められ、経済的にも苦しむ人々が、イスラエルに向け抗議行動を起こし、イスラエル軍の発砲に遭い犠牲者がでたことが大きく報道されました。中根中が現在のアメリカのこうした政策をみたとき、同じように暴動やテロを煽動したでしょうか。

この問いこそが、今の国際政治の狭間に置かれた犠牲者や、アメリカ社会の格差に苦しむ人々のことを考えるとき、常に考えさせられる課題です。
暴力やテロを憎むのみではなく、その原因となった歴史と社会の矛盾に光をあてることが必要なのです。

九州の静かな城下町に生まれ、明治から昭和へと生きた一人の破天荒ともいえる活動家がアメリカでのアジア系や黒人系の人々の置かれていた状況を目にしたときに感じたこと。それは戦前のみならず、今のアメリカの動向を見つめるヒントをも与えてくれるのです。

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