2018年6月12日火曜日

Homo Sapienceは生き残れるのか



【ニュース】
Who was responsible? Neither kings, nor priests, nor merchants. The culprits were handful of plant species, including wheat, rice and potatoes. These plants domesticated Homo sapiens, rather than vice versa.
訳:これは誰の責任なのだろう。王でもなければ、聖職者でもない。はたまた商人でもない。犯人は一握りの植物だった。小麦や米、そして芋といったような。これらの植物が人類を家畜化したのだ。我々が彼らをそうしたのではなく。
(Yuval Noah Harari著Sapiensより)

【解説】
AIの進化に、哲学が追いつかない。
こういう風に懸念する人が多くいます。つまり、科学技術が進歩し、人々の生活様式が大きく変化し、人の寿命までも操作できるまでになった現在、はたして人類はその技術を深化させ、社会を維持してゆくだけの思索力と寛容力、さらに洞察力を獲得できたのだろうかということが問われているのです。

この見出しの一文が綴られているSapiensという書籍は、そんな人間の科学技術へのうぬぼれに鋭い視点で迫っています。
人類は自らの行動様式や社会を変革する大きな転機を幾度か経験してきました。
その一つが農業革命です。一万年以上前に人々は植物を栽培することを覚えました。多くの人は、それを大きな進歩と捉えます。ところが、著者はそうした我々の常識に鋭いメスをいれているのです。

農業を発明する前、人々は狩猟生活をしていました。
自然の中を、小さな集団で移動しながら食物を得て、共同体を維持していました。では、そんな折に人類を見舞った天敵や天災の脅威や、部族同士の争いを農業が解決し、人々はそれ以上に豊かな生活を満喫できるようになったのかと著者は問いかけます。
農業によって社会が生まれます。そして、人類は豊作不作によって自らの運命が左右されるとき、神に祈り宗教が規模の上でも組織の上でも影響力を持つようになります。
そして、分業と階級が生まれ社会が膨張します。するとほとんどの人は必死で育てた作物を税金で権力者に奪取され、宗教的儀式にも捧げるようになります。以前は獲物を追って必要なときに食事をとっていた人々が、飢饉となるとなす術もなく飢餓の犠牲になるのです。狩猟採集生活をしていた人々より豊かになった人はほんの一握りの権力者だったというわけです。
とはいえ、生産は増え、人口も増えますが、その需要に追いつくために、労働はさらに過酷になり、豊かで人口の多い地域は他の部族からの侵略の危機にもさらされました。

これが農耕の発明の所産というわけです。
そして、人口が増えるに従って、この負の歯車の回転が加速するために、社会が進化してゆき、それを停止させることが不可能なまま、世の中は変化を続けていったというわけです。

しかも、面白いのは、農耕によって、人類が穀物を支配し、自然を支配したように我々は考えがちですが、本当の勝者は穀物の側だったというのです。
例えば、小麦は中東北部に群生していた植物に過ぎないのに、人類によって世話をされ、雑草や害虫を駆除してもらい、収穫のあと種まで保存され翌年に再びよく肥えた土地にそれを撒いてもらいます。種としての小麦はこのように人々を家畜化し、奴隷のように働かせることで、世界中に拡散し、繁茂することができたというわけです。

農業革命のあと、18世紀以降の産業革命を経て、さらに人類はIT革命を経験します。人類は今までに到達したことのない文明の渦に巻き込まれています。300年以前の人は、1,000年以前の人とそう変わらない生活様式の中で生きていました。しかし、300年前と現在とを比較すれば、その違いは明白です。

さて、ここで我々が考えなければならないことは、文明の進化と共に、これからも人類は幸福な発展を遂げられるのかということです。著者は人類が今や神の領域に至りつつあると強調します。つまり、19世紀の小説フランケンシュタインがAI技術の進歩で可能になろうとしているのです。また、遺伝子などの操作によって、まったく新しい、ホモ・サピエンスではない人類が誕生する可能性もあるのではといわれています。

人類がどこまで神の領域に入り込むことができるのか。また、利便性を追求し、情報も電子信号で簡素化された人類同士が、お互いの背景をしっかりと理解し、何か課題がおきたとき、理性と洞察力、そして愛情によってものごとを解決することができ続けるのか。我々に突きつけられた課題は、人類の存続に関わる重大な課題というわけです。

人類の誕生以来、地球は過去に経験をしたことのない生命体の大量絶滅に関わってきました。乱獲や家畜化、そして自然破壊は人類が言葉を操り、社会を形成し始めた頃から加速したといわれています。そうしたツケをこれから人々はどのように支払ってゆくのか。

Sapienceの著者ハラリ氏は、中世の軍事を専門とした歴史家です。そんな彼が記した本書は、従来の歴史的事象を細かく記述するのではなく、Homo Sapienceという人類の数万年に及ぶ歩みを鳥瞰し、そこから大胆に歴史そのものを見つめ直すことで、未来学へと視点を拡大してゆきます。
歴史から何を学ぶか。年号や英雄の名前を覚えることが歴史を学ぶことではないことを著者は明白に語っているのです。

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