2017年6月20日火曜日

「少年少女と酒場?」その背景にある価値観とは



【ニュース】
Dry county is a county in the United States whose government for bids the sale of any kind of alcoholic beverages.
訳:ドライ・カウンティ(禁酒群)とは、アメリカで一切の種類の販売を禁止している政府のある地域のこと(ウィキペディアより)

【解説】
ラスベガスでのことです。
中学一年生の甥が、ホテルに併設されたカジノの椅子に座っていると、係りの人がきて、子供をスロットマシーンの前に座らせてはいけないよと注意を受けました。
当然のことと思い、甥を促し別の場所に移動させました。

「そうだね。アメリカでは子供の世界と大人の世界とを明確に区別するので、注意が必要だよね」
私のアメリカ人の友人がその話をきいてこのようにコメントします。

これを聞いたスペインから来た友人が興味深い発言をしました。
「スペインでは、バーが子供の立ち入りを拒否したことが問題になったケースがあるんだよ」
バーはお酒を飲むところ。つまり大人の空間のはずです。
子供が入るところではないという暗黙の了解があるものと思っていただけに、この事実には驚きました。
「つまりね。子供にはジュースをだせばいいだけのこと。それを、立ち入りを拒むということは民主的ではない。実はこの件、司法の判断も子供の立ち入りを認めるべきということになったんだ」
「うそでしょ」
アメリカ人はびっくりします。
「お酒を飲む場所に子供を連れてくること自体、アメリカでは厳しく弾劾される行動だよ」

アメリカ人とスペイン人のこの対話は、バーに子供をいれるべきかどうかというテーマを超えた文化の違いを語ってくれます。
まず、この会話の向こうには、多くのアメリカ人の心の奥底にあるお酒への「罪」の意識が見え隠れします。1920年代に禁酒法を制定したことのあるアメリカは、伝統的にプロテスタントが人口の過半をしめる国家です。
個人の節制と勤勉こそが信仰の証とするプロテスタントの教義は、酩酊に対する嫌悪を社会に根付かせました。
この嫌悪感とアルコールの弊害から子供を守ろうという人権の問題とが融合したのが、バーやカジノへの子供の立ち入り制限の背景にあるというわけです。

「でも、日本でも子供が盛り場に入ることは非行とみなされるよ」
私がスペイン人の友人にそういうと、
「子供が親の監督下にいればいいわけだよね。だから、親と子供が一緒にバーにはいることは問題ないはず。しかも、日本人は一般的には酔っ払うことに極めて寛容だよ。欧米ではふらふらして街を歩いたり、電車に乗っただけで、自分をコントロールできない危ない人だとみられかねないのに、日本ではそんなことはないよね」
と彼は解説します。
「しかし、何かしっくりと理解できないものがあるな」
アメリカ人の友人はまだ納得できずにいます。
「スペインはカトリックの国なんだ。僕たちは思うんだ。そもそもワインはキリストの血とされてきたじゃない。聖書でもお酒は非難されていないのに、プロテスタントの人たちはどうしてあんなにお酒を目の仇にするのかって」

この議論の向こうに、プロテスタントの道徳律の影響を強く受けたアメリカと、カトリックの影響を未だに色濃く残し、長年スペインの植民地だったメキシコとの対立が見えてきます。
ドナルド・トランプがメキシコからの移民を制限しようとしたことと、中東からの入国を差し止めようとしたことの背景に、この宗教的対立からくる偏見が本当になかったのでしょうか。
安い賃金で働く不法移民がアメリカ経済を破壊し、中東からイスラム教過激派のテロリストがやってくるという表向きの理由だけを鵜呑みにできなかった人は多かったはずです。

アメリカの中には、地方に行けばドライ・カウンティDrycountyと呼ばれる地域が今でも残っています。この地域ではお酒を販売したり買ったりできないのです。
これに対して、お酒を自由に売買できる地域はウエット・カウンティWetcountyと呼ばれています。こうした地域がドナルド・トランプのみならず、アメリカの保守の票田となっているのです。
バーに子供をいれるべきかどうかという道徳上の問題の是非はともかくとして、少なくともプロテスタンティズムを理解することがアメリカの政治や社会を理解する鍵となることだけは間違いないようです。










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