2017年11月20日月曜日
ネイチャーの警告は、日本の教育のあり方への苦言
【ニュース】
Japan’s status as a science superstar is vulnerable. Nature Index 2017 Japan reveals that although the country is still among the upper echelons of global research, its output has continued to slide.
訳:日本の科学分野での優位が危機に直面している。ネイチャーインデックス2017をみると、日本が今でも世界のリサーチレベルでの上位にあるものの、その発表量は常に減少傾向にあることがわかる。(Nature Indexより)
【解説】
このヘッドラインは科学雑誌で有名なネイチャーNatureが発行するNature Indexの日本についてのヘッドラインです。
実は日本の競争力の基盤となる科学技術やリサーチ能力の衰微が現在深刻な問題にさらされているのです。
Nature Indexは、世界での優秀な論文の発表数を詳細にまとめて公表しています。それによると、日本からの科学研究の成果の発表数がこのところ他の先進国と比較しても減少傾向にあるのです。
この原因をじっくりみるとき、我々は「教育のあり方」そのものを見つめ直す必要性に迫られていることに気付かされます。
つい先日、長崎の大学で講義をすることがありました。
講義の冒頭、学生にテーマを与えました。海外の人に日本を紹介するとき、どのように日本のことを伝えますかというのがその内容です。
すると出席した70名のうち、95%の人から日本は「安全」「清潔」「食事が美味しい」「美しい四季がある」「便利」のいずれか、そして日本人は「親切」「丁寧」であるというコメントがかえってきました。
さらに、ほとんどの人が、日本人には「おもてなし」の精神があるといっていました。
さて、この回答と、Natureでの指摘とは、どのようにリンクしているのでしょうか。
まず、彼らがどうしてこのように回答したかを考えましょう。彼らに問いかけてみると、多くの場合高校教育の過程で同じようなテーマで討議を盛り込んだ、いわゆる「アクティブ・ラーニング」を経験しているのです。
また、日本での報道からの影響も大きく、多くの外国人がそうコメントしているという理由も伺えました。
では、仮に外国から来た人が、日本をみてそのようにコメントしているからといって、それを日本人がこうしたことを海外に向けて逆に表明することがよいことなのかを考えてみましょう。きっと多くの外国人は、「え、どういうこと?」と思うはずです。多くの国の人は思います。「我々にだって美しい四季はあるよ」「それって、われわれは清潔でないってこと?」「我々はまずいものばかり食べているの?」「そうかなあ、我々は親切ではなく、雑なんだ」と思うかもしれません。
彼らのコメントには、相手の身になってものごとを考え、そのデリカシーをもって日本を紹介するという、ちょっとした意識の変換への知恵が欠如しているのです。また、海外のことを知らないままに、日本に向けて語られた報道のみを受け売りにしていることも忘れてはなりません。
さらに課題は、そうしたコメントを学校の教育現場でも支持してきたことです。テレビ等での海外の人の外交的なコメントの報道について、それを検証したり、考えたりすることを教育現場で奨励していないことにも大きな課題があります。
科学的な発想力の根源はといえば、「常識を疑う心」です。これが想像力を育み、人類の進歩をもたらします。引力の発見、地球が球体であることや太陽系の一員であることの認識など、すべてはそれ以前の常識にメスをいれることから、それらの発見がはじまりました。
日本の教育は、覚えること、暗記すること、さらに試験に合格するノウハウを磨くことという技術に特化し、先生のいうことに Why? という質問を投げかけること自体をタブーにしてきたのです。
ですから、報道されていること、教科書に書かれていることを丸のみにし、模範回答をする子供が優秀とされ、それに Why? と切り込み個性をみせる子供は異端とされてしまいがちです。親も子供に学校の方針に合わせることが無難だという教育を行います。その結果、親と教師が一緒になって子供の能力を摘み取っているケースが数知れずあるはずです。
日本を海外の人にどのように紹介するかというテーマを与えたとき、正に模範解答のようにここで紹介した内容のコメントで埋め尽くされた事実は、この Why? という能力を磨くことを怠っている教育現場が生み出した負の遺産なのです。批判する目を養う意識が欠如しながら、報道や国のいうこと、あるいは権威があるといわれる人のいうことを鵜呑みにして、判で押したような回答をする子供が増えているのです。その結果、海外の人と柔軟にコミュニケーションのできない人材が日本を埋め尽くすことになりかねません。政治上、あるいは国際関係の上では一応うまくいっているようにみえても、実際は精神的に世界から孤立した人が増え続けるのではという危惧を抱くのです。
よく、日本人は自らの国を島国で、だからこそユニークだといいます。世界に島国は数え切れないほどあり、それぞれがユニークな文化を持っているにもかかわらず、日本人は自分のことを特殊あつかいしがちです。その意識が歪んだ優越感へと退化した結果、こうした判で押したような日本礼賛のコメントがでてくるのです。
こうしてみると、ネイチャーの記事が指摘する、日本人による優秀な論文や科学的発表の機会の減少は、単に英語力だけの問題ではないことがわかります。英語力は大切ですが、英語を使いどのように人とコミュニケーションをし、 Why? という疑問をぶつけ合いながら切磋琢磨できるのかという点こそが大切なのです。これは日本の教育現場全体に投げかけられる課題なのです。
英語教育の改革の現場で、4技能の育成がとやかくいわれています。
しかし、ここに指摘した課題を踏まえずに改革を実施した場合、それは新たな「受験技術」を磨くための教育がはじまったに過ぎないことになります。
英語教育をどのように変えてゆくかを見据えることと、Natureの指摘する危惧をどのように克服するかというテーマとは同次元の深刻な課題なのです。今、日本では教育者自身の意識改革こそが問われているのです。
2017年11月14日火曜日
歴史の重みに悩む社会の世直しに強権は必要か
【ニュース】
A Philippine President had an approval rate of just 48% -- the first time his popularity has dipped below 50% during his 16 – month presidency.
訳:フィリピンの大統領の支持率は48パーセントと、就任後16ヶ月にしてはじめて50%を割り込んだ(CNNより)
【解説】
今回は、先週解説したサウジアラビアでの改革の旋風を思い出しながら、フィリピンの現状を考えてみます。
というのも、フィリピンにもサウジアラビアにも共通していることは、長年の汚職や不公正に対して、強いリーダーによる強権政治が必要かどうかの是非が問われているからです。サウジアラビアは、皇太子モハメッド・ビン・サルマンに権力が集中する中で、王家も含む伏魔殿にメスがはいろうとしています。そして、フィリピンでは、逆らう者を射殺してでも麻薬と賄賂を撲滅するとしたドュテルテ大統領が話題になって、すでに1年以上が経過しています。
「フィリピンの人の顔をみるとね、いろいろなルーツがあることがわかるんです」ルソン島の中部にある町を仕事で訪れたとき、現地の友人がそうかたってくれました。
私の前に座る5人のフィリピン人。彼らの顔をみると、確かにそれぞれ異なったルーツがあることが確認できます。ヨーロッパ系、アメリカ系、中国や日本系などなど、多様な民族の血がそこに流れているのです。
まず、フィリピンは16世紀にスペイン領になっています。ですから、今でも町や通りの名前などにその名残があるだけでなく、彼らがローカルに話す様々な言語の中にもスペイン語が混ざり込んだりしています。
そして、1898年にアメリカとスペインが戦争をしました。その戦争にアメリカが勝利した結果、アメリカはスペインからフィリピンを譲渡されます。アメリカの植民地となったことが、フィリピン人が他の地域より英語に堪能になった原因となりました。また、フィリピンが近代法を導入するときなどに、アメリカの法律が参考にされました。
そして、1941年のこと、アメリカと日本が戦争になると、フィリピンは激しい戦場になりました。スペインやアメリカ領の時代にも、現地のフィリピン人への差別や虐待は多くありました。独立運動もおき、その犠牲になったフィリピンの人も多くいました。そして残念なことに、フィリピン人に対する対応は、日本が数年間フリピンを占領したときも同様でした。日本の占領政策に不満を持った多くのフィリピン人が、アメリカが日本に反撃し、フィリピンに再上陸したときに、アメリカ側に協力しました。その結果、密林の中で、飢えや疫病で数えきれない日本兵が命を落とし、戦後になっても戦犯として裁きを受けたことはよく知られています。
戦後にフィリピンは独立しますが、貧困や政変が続き、国は荒廃します。そして多くのフィリピン人が家政婦などになって海外で働きました。
この経緯から、フィリピン人にはスペイン、アメリカ、そして日本や中国の血の混じった人が多くいるのです。
フィリピンの学校ではもちろん、こうした過去の悲劇について教えています。日本人が忘れている日本軍の占領時におきたことも教わっています。不思議と彼らはそのことを公の話題にはしません。でも、彼らに深く聞けば、歴史の授業で日本のことをどのように勉強したかがわかってきます。
そんなフィリピンが独立以来悩み続けてきた社会の混乱。特に蔓延するドラッグと賄賂を一挙に撲滅しようと、強硬策を実施したのがドュテルテ大統領でした。しかし彼の人気に今陰りがでているといわれます。裁判なしで、警察がどんどん容疑者を射殺し、刑務所に送り込んだことが、人権侵害と三権分立の原則に反すると攻撃されているのです。ある人によれば、スペインの占領政策の影響で、フィリピンには多くのカトリック信者がいることも大統領の人気の陰りの原因であるといいます。教会が大統領が麻薬撲滅政策の中で、人命を軽視した改革を断行していると批判しているからです。
長い歴史の重圧を克服し、国家を成長させることは並大抵のことではありません。フィリピンに限らず、中東やアフリカなど、近世から現代にかけて植民地として収奪された地域の多くが、その影響から抜け出し社会を発展させることができず、今でも政情不安や貧困に悩んでいることはいうまでもありません。
先週紹介したサウジアラビアのように、そうしたジレンマを解決するためには強権的な改革も必要なのかもしれません。そして、サウジアラビアでのニュースが流れたとき、真っ先に思い出したのが、ドュテルテ大統領の政策でした。サウジアラビアの場合も、女性に対する不公平など、様々な社会問題を解決するときに、つねに課題となったのが、イマームと呼ばれる宗教的な権威による抵抗でした。
フィリピンの場合、人権問題という課題を克服しながら、教会や司法との対立を乗り越えて改革を続行できるか、今大統領の手腕が問われているのです。
国が未来に向けて過去の汚泥を捨て去るとき、どこまで強権を行使できるのか。あるいはどこまで強いリーダーシップが許されるのか。
サウジアラビアとフィリピンのケースが、世界から注目されているのです。
2017年10月24日火曜日
Japan Inc.というイメージを変えるには
【ニュース】
What is happening with Japan Inc? Japan has long been held up as a shining example of integrity, assured quality and reliable products…
訳:日本は誠実で、質がよく、安心できる商品を提供できるという輝かしいイメージを維持してきた。しかし---。いったいJapan Inc.に何がおきているのか(BBCより)
【解説】
神戸製鋼や日産など、日本企業のスキャンダルが相次いで報道されています。
今回の衆議院選挙の結果と照らし合わせ、保守化する日本と、そんな日本を代表する企業での不正に、海外の報道機関は複雑な視線を投げかけています。
Japan Inc.という言葉があります。文字どおり「日本企業」を示す言葉ですが、この表現の向こうには、80年代に政財界が一体となって日本という企業集団を運営し、成功へと導いていったときのイメージが残っています。
当時、高度成長以降、さらに破竹の勢いで拡大を続けていった日本企業の姿を、欧米の人々はJapan Inc.という言葉で表現したのです。
バブルがはじけて以来、そうしたJapan Inc.のイメージが変化しました。構造改革に乗り遅れ、低迷に悩む日本の産業界の姿を、人々はJapan Inc.と表現しはじめたのです。
CNNなどでは、今回の選挙のあと、安倍政権の長期化が予測されるなか、このJapan Inc.の「負のイメージ」を、いかに日本が変えてゆけるのか特集を組みました。
日本にはもっと若くリーダーシップをとれる企業人が必要とされているのではないかと彼らは問いかけます。
高齢化、財政赤字という二つの大きな課題に、日本政府は本気で取り組み、社会を変えてゆくことができるのかとも海外のマスコミは問いかけました。
海外での日本企業のイメージには、残念ながら構造疲労に苦しみながらも、未だに海外に対して鉄のカーテンを下ろしている閉鎖的な印象がつきまといます。
日本語で、日本人によってのみ運営できる企業、それが日本企業、Japan Inc.のイメージなのです。
日本企業の多くは、こうしたことへの危機感がないわけではありません。しかし、そのことへの解決策として、日本企業の人事部は、TOEICなどのテストを通して社員の英語力の向上に取り組み、英語が話せるようになれば、企業は変化するものだと勘違いをします。しかも、TOEICを導入している企業の多くは、その点数を上げることのみに腐心し、企業ぐるみで新たな受験戦争を社内に作り出しています。
根本的な問題は、日本企業内の英語力の低さではないのです。
まず、理解しなければならないのは、日本と外国とを分けて考える企業人の閉鎖性なのです。海外に進出している日本企業は、海外を外国人に仕事を教え、自らの製品を販売する場所としてしか考えず、海外の知恵を組織に注入し、日本人と外国人とを分けるのではなく、同じ企業の仲間として多様性を共有してゆく姿勢をもてないのです。
日本企業はもっと海外から役員を招き、かつ海外のことは海外に任せる姿勢が必要です。
日本企業のスキャンダルが報道されるとき、いつものように、マスコミに向かって幹部が深々と頭を下げる映像が世界を飛び交います。こうした映像を通して、まさにセレモニーのように深く頭を下げながらも、未来へのしっかりとしたソリューションを公にできない伏魔殿のような組織のイメージが、世界の消費者に植え付けられてゆきます。
別に、日本企業はアメリカなどの企業の真似事をする必要はありません。それぞれ独自の企業文化があって何ら問題はないのです。個性ある企業があり、そこに個性ある企業文化が培われていることはむしろよいことです。ただ、それが海外と共有されないことが問題なのです。Japan Inc.はJapan Inc.の方程式のみを海外に伝授しようとしがちです。しかし、それは誰にも受け入れられないのです。
日本企業に勤務し、日本人に好かれる外国人には、そんなJapan Inc.に従順な羊のような人材が多く、彼らは高給で優遇されますが、便利屋としてしか活用されません。
逆に、個性が強く、どんどん自己主張をしてくるような人は、日本企業では長続きできません。しかし、彼らの方が世界的な視野でみれば、はるかに優秀で発想力も豊かなケースが多々あるはずです。
日本社会は高齢化が進んでいます。
それだけに、企業内でも組織を活性化させる新たな血液がいずれ不足してくるはずです。海外からの輸血はどうしても必要なのです。外国人と日本人との血液を分けて使用している多くの企業が、その方針を転換でき、世界に対してリベラルに対応できるようになったとき、世界からJapan Inc.の負のイメージが払拭されてゆくのです。
2017年10月11日水曜日
2017年10月10日火曜日
日本人が知っておきたい国際舞台でのタブーとその回避術とは
【ニュース】
Offer your information voluntarily to create a confortable environment to work in the global community.
訳:自らの情報を積極的に語り、世界の人と働きやすい環境を創造しよう。(山久瀬洋二のtwitterより)
【解説】
北アイルランドに進出している国際企業の多くに規則があります。
それは、会社の中で政治の話題をもちださないこと。このタブーをおかすと解雇されることもあるのです。
どうしてでしょうか。
北アイルランドでは、イギリスからの分離独立運動が伝統的にあり、それがテロ行為にまで発展した経緯があります。しかも、この対立の背景にはカトリックとそうでない人々との宗教上の確執もあるために事情は複雑です。
そして、イギリス側に立つ人と、独立した上でアイルランドに帰属したいと思うこれらの人々が同じ職場に混在しているのです。
北アイルランドの職場でそのタブーを破ると、会社が深刻な混乱にみまわれてしまう可能性があるのです。
最近話題になっているスペインでのカタロニアの独立問題についても同様です。スペインではカタロニアのみならず、北部のバスク地方にも独立運動が根強くあります。こうした事例は世界のいたるところでみられます。
このように、海外では政治の話題を職場に持ち込むことは非常識な行為とされるケースが多いのです。
アメリカの場合、こうした民族や宗教の対立によって多くの人が移民として流れ込んできました。アメリカのパワーはその多様性にあるといわれています。しかし、それは同時に政治的、宗教的な立場の異なる人々が常にそばにいることを意味しています。
例えば、アメリカで3つの背景を持つ人がいて、夕食を一緒にしているとします。日本人、東欧系アメリカ人、そして中東系のアメリカ人です。
まず、彼らはお互いに、相手がどういった背景をもった人かわかりません。日本人は外国からきているので、アメリカ人たちも多少はそのことを意識するかもしれません。
しかし東欧系のアメリカ人からみるなら、前に座っている人がどこから来た人かはわかりません。逆も真なりです。たまたま、何かの機会に相手が中東系の人だとわかったとします。しかし、その人がイスラム教徒なのか、さらに信仰を大切にしている人なのかどうか推測だけではわかりません。もしかすると、その中東系の人の出自は、イスラエルのために国を追われたパレスチナ難民かもしれません。
実は、東欧系のアメリカ人の多くはユダヤ人の背景をもっています。であれば、お互いに相手のことがわからない以上、安易に自らの政治的スタンスについては語れないのです。
このように世界の多くの国では宗教的な背景も異なれば、国際情勢や国内の情勢に対する見解が異なっている人々が同居しているのです。しかも、それが極めて深刻な歴史的な過去とつながっていることもしばしばです。それを知らずに一方的に自らのスタンスで政治の話をすれば、思わぬ不快感を相手に与えてしまう可能性があるでしょう。
さらに例をあげれば、アメリカの中には、宗教的背景によって人工妊娠中絶に強い不快感を持つ人がいます。そうした人に彼らに共通した常識と異なる会話をしてしまったために、相手に思わぬ抵抗感を与えてしまった事例もアメリカの職場では散見します。
ですから、ある程度知り合いになるまでは、政治的なコメントを控え、お互いの交流を進める中で、少しずつ相手への理解を深めながら話題を広げてゆくのが、ビジネス上のコミュニケーションのやりかたなのです。
よく日本人は日本人ではない人を外国人と呼ぶことで、日本人と世界の他の人々とを区別しようとします。しかし、ここで語ったように、実際の世界は、ただ日本と海外とを分離すればよいという単純なものではありません。つまり、日本人は多様な世界の中の一つの民族に過ぎず、日本人も含め、それぞれ異なった人種や民族、国籍の人がいることからくる繊細さを常に心に抱いておく必要があるわけです。
であれば、当然相手方の政治的な事情や宗教的意識について軽率には触れずに、相手との会話を通して、少しずつ相手の状況がわかってきた段階で、より深い会話をしてゆく繊細さが必要なのです。
ではどうすればいいのでしょうか。
逆に、自分から進んで開示した情報についてはプライバシーでなく、どんどん質問をしても構わないという意識が世界にはあります。例えば、職場で家族の写真をみたときは、むしろ遠慮なくこの写真の方は奥さんですかなどといった質問をしたほうが、相手との紐帯を強くできるのです。
しかし、そこに開示されていない情報はプライバシーに属します。そこを聞き出すことは却って相手の抵抗を招くはずです。宗教感、政治的スタンス、年齢、性的な趣向などは多くの場合、そのカテゴリーになるのです。
だからこそ、日本人には自ら進んで自分の背景や情報を提供し、相手にポジティブな好奇心を与え、会話を進めてゆくことをおすすめします。そうすれば、相手は開示された情報だと安心して、日本のことについて様々な質問をしてくるはずです。
海外の人との交流の基本は、相手に対して自らが進んで情報を開示することにあるのです。
2017年9月25日月曜日
アメリカ人の意識を色濃く受け継ぐデモインというところ
【ニュース】
For our better ordering, and
preservation and furtherance of the ends aforesaid; and by virtue here of to enact,
constitute, and frame, such just and equal laws, ordinances, acts, constitutions,
and offices, from time to time, as shall be thought most meet and convenient for
the general good of the colony; unto which we promise all due submission and obedience.
【訳】我々がより良い秩序を維持し、その目的を達成するために団結し、その時々の必要に応じ、植民地全体の利益のために最も適切と判断される、公正で平等な法律、命令、法令を発し、憲法を制定し、政府を組織する。これらの誓約に我々全ては同意し従うことを約束する。(メイフラワー誓約より)
【解説】
一般的にアメリカと聞いて多くの人がイメージする場所といえば、ニューヨーク、グランドキャニオン、ハリウッドなどかもしれません。
もちろん、これらの地域は広大なアメリカの中のごく一部にすぎません。もっと言えば、外国人が頻繁に訪れる地域は、アメリカの中でも極めて限られているのです。
以前ボストン、ニューヨーク、ニューオリンズ、サンフランシスコ、あとは皆クリーブランドという言葉を聞いたことがあります。これは、最初にピックアップされた4つの都市以外はクリーブランドのように、中心街に高層ビルがあり、あとはショッピングモールのある郊外が広がっているという意味で、逆をいえば、アメリカで個性のある都市はこの4つだけだということを皮肉った表現となります。
ハリウッドのあるロサンゼルスも、街の構造はといえば、確かにクリーブランドに似ています。
アメリカのど真ん中にデモインという町があります。アイオワ州の州都です。大平原の中にある都市で、ある意味で一般にアメリカ人が典型的なアメリカとしてイメージするのがこの州であり州都デモインなのです。
アメリカの選挙でのこの地域の票の行方は、常に話題になります。また、新しい商品の売れ行きやテストマーケットのときも、ここでの結果に注目が集まります。というのも、デモイン周辺こそが最も典型的で普通なアメリカとされているからです。
では、そんな「普通のアメリカの普通のアメリカ人」のイメージとはどのようなものでしょうか。
比較的早起きで、朝コーヒーとハムエッグ、そしてトーストをかじって車で出社、8時ごろから敷地面積の大きな平屋のオフィスの自分のブースで働きます。あるいは工場での生産ラインにつきます。そして、午後は5時前にはすでに退社の準備を整えて帰宅。家族と共に夕食をとるときは、皆で手をつないでその日が無事に終わったことを神様に感謝。夕食は家族団欒のもっとも大切な儀式です。その後、日本の一般の家庭と同じように、テレビをみたり、人によっては書斎で残った仕事を片付けたり。時には、夜にタウンミーティング(街の寄り合い)に出席して、地元の学校のスポーツイベントなどについての打ち合わせも行います。
日本と大きく違うのは週末、特に日曜日です。それぞれの家が所属する教会に行ってお祈りをして、時には教会主催のイベントに参加します。彼らにとって教会とのつながりはプライベートな人間関係を促進する意味からも最も大切な活動です。
これがデモインの郊外の人のイメージです。
Middle of Nowhereという言葉あります。これは、見渡す限りの大草原、大平原にある小さな町。どこにでもあって、特定できないものの、アメリカ人がこう言えばすぐにイメージできる一般的なアメリカの風景です。
ここが大切なことは、この一般的なアメリカのイメージとして登場する人々の背景が、キリスト教徒でかつプロテスタントだということです。ヨーロッパでの宗教的な軋轢や迫害を逃れて新大陸に渡ってきたプロテスタントが、この地域の人口の過半を占めているのです。アメリカの社会を理解するには、このプロテスタントの文化への知識が必要です。
このプロテスタントのイメージを代表するのが1620年にメイフラワー号に乗ってボストンの郊外に移住してきたピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々なのです。彼らはイギリスの国教会に組み込まれることを拒否した清教徒、つまりプロテスタントの一派です。彼らが移住してきた場所で生活するために誓約したのが「メイフラワー誓約」と呼ばれる一枚の紙でした。冒頭でのその一部を紹介しました。そこでは入植地で自らの自治の元、法律を定め、信仰を持ってしっかりと生活を切り開くことが約定されています。
これは、彼らがカトリックやイギリス国教会のように大きな教会組織に属するのではなく、神への個人の信仰によって結ばれる者のみの共同体で村を作り、生産を行うことを記したものです。この独立と自治の精神がアメリカ人の精神構造の支柱となってゆくのです。
ですからアイオワ州に住む典型的といわれるアメリカ人は、大きな政府からコントロールされることを嫌い、自分のコミュニティのことは自分たちで決め、自らの生活を守るためには銃を持つことも必要と思います。信仰を共有する自分たちの教会を集合の場として、日曜日に集い、牧師の話を聞きます。メイフラワー号で移住してきた人々の伝統が今でもいきているのです。実は、彼らの多くが、アメリカの利益を優先しようと説いたトランプ大統領を選んだ人々なのです。
トランプ大統領の政策への是非はさておき、メイフラワー号の頃から時が経ち、彼らが上陸してきた地域は世界各国からの移民で埋め尽くされ、当時の伝統はむしろアメリカの内陸で保たれたのです。
長い時の流れの中で文化が伝承されるとき、興味深いことが起こります。
ある文化が迫害や宗教の伝道で他の地域に移動したとき、むしろその移動した地域の方で、元々の地域よりしっかりと伝統が維持され、世代から世代へと受け継がれることがあります。アメリカの多くの地域には、18世紀や19世紀に移住してきた人々の伝統が故郷よりもしっかりと伝承され、いきづいているところがあるのです。
アメリカ社会でのプロテスタントを信奉する人々の意識はまさにその事例といえましょう。彼らは一般的にヨーロッパの人々よりも熱心な信者なのです。この背景が我々が外からみても理解できない、アメリカ人独特の行動様式や常識を形成しているのです。
2017年9月11日月曜日
イギリスとスコットランドをめぐる千年の「縁
【ニュース】
The British monarchy is the direct successor to those of England, Scotland and Ireland. There have been 12 monarchs of the Kingdo m of Great Britain and the United Kingdom since the merger of the Kingdom of England and the Kingdom of Scotland on 1 May 1707.
【訳】イギリス王室はイギリス、スコットランド、そしてアイルランドの直接の継承者で、1707年5月1日にイングランドとスコットランドの王室が合併して以来、12代の君主が君臨している(ウィキペディアより)
【解説】
イギリスという国を「イギリス」と呼ぶ日本人。その語源はというと、戦国時代から江戸時代にかけてのポルトガル語やオランダ語での「イングランド」を意味する語彙が変化したものだといわれています。元々日本人はイギリスのことをエゲレスと呼んでいたことはよく知られています。しかも、当時の日本人には、イギリス本国の内政事情は伝わっていませんでした。
イギリスはイングランドとスコットランド、さらにはウエールズやアイルランド(ここはイギリスの植民地でした)に分かれていて、それぞれ別の国だったという状況は詳細には伝わっていなかったのです。
これがイギリスを一つの国家として意識した日本人のイギリス観の原点となりました。
ポルトガル人が来た頃、日本は戦国乱世でした。当時日本にいろいろな国があって、覇権を争っていた事情がヨーロッパに詳細に伝わらないのと一緒で、彼らは日本のことを一括してJapan(ポルトガル語としてJapao)として意識したのです。
今、イギリスの正式な国名は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland です。ちなみに、一般的にはこの正式名称の前半部分を省略してUKと呼び、正式名称として使用することもよくあります。イギリスの事情を理解するには、この国名の意味をしっかりと把握することが大切です。
まず United Kingdom ですが、これは文字通り王室が合併したことを意味します。スコットランドとイングランドは元々別の国家でした。しかし、当時ヨーロッパの王国は皇族同士が政略結婚によって複雑にネットワークしていたのです。例えば、オーストリアを統治していたハプスブルグ家の王(神聖ローマ帝国の皇帝)は、スペインの王室と姻戚関係にあったことから、一時スペインがハプスブルグ家に統治されていたこともあったのです。その後、複雑な経緯を経てスペインの王室と同様の姻戚関係にあったフランスの王室がスペインの王位を継承します。皮肉なことに、フランスは1789年から本格的にはじまったフランス革命、さらには19世紀におきた政変でブルボン朝は消滅します。しかし、スペインの現国王フィリッペ6世はれっきとしたブルボン家の末裔なのです。
話は戻りますが、スコットランドとイングランドの王室がそうした姻戚関係の確執の末に一つになったのは1707年のことでした。この両国の合同こそが、United Kingdom ということになります。そして、その時に正式な国の名称となったのがグレートブリテン Great Britain だったのです。
では Britain とは何のことでしょうか。
これは、イギリス本土の島の名前です。さらにお隣のアイルランドや周辺の島を合わせるとブリテン諸島ということになります。ギリシャやローマ帝国の頃に、辺境のこの島をそのように呼んでいたことが語源です。ちなみに、このブリテン島に北欧から移住して王国を造った人々がアングロサクソンと呼ばれる人々で、ローマ帝国の崩壊以降の混乱で、ブリテン島に居住していた人々は時とともにフランスにも逃れてきました。そうした人々の住む地域がフランスのブルターニュ(ブリテンの人々の住む地域)ということになります。
1066年にフランス王の臣下であったノルマンディ公が王族同士の姻戚関係からイングランドでの王位継承を主張し、イングランドに進攻し、王朝を開きます。以来、フランス王とイングランド王との間にも、かつノルマンディ公の進攻を免れたスコットランドとイングランドとの間にも様々な摩擦が絶えなかったのです。
スコットランドは現在 EU に残り、より大陸とのつながりを強くしたいと願っています。それに対してイギリスという国家、すなわち Great Britain は EU からの脱退を決議しました。
イングランドは中世に100年戦争を経てフランスから正式に分離されます。しかし、スコットランドの王室はその後も大陸と深いつながりを持ち続けていました。実はイギリスの繁栄を築いたといわれる16世紀後半のエリザベス一世の時代、この政治的な争いが王族の血で血を洗う確執に発展し、スコットランドの女王であったメアリー・スチュアートがエリザベス一世に処刑されたこともありました。
しかし、現在のエリザベス二世の系譜をたどれば、スコットランド王室の血がしっかりと流れていることがわかります。
以上のような背景を理解しないまま、その昔日本はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland のことを「エゲレス」と呼び、それがイギリスへと変化したのです。
これからEU離脱をめぐり、スコットランドがどのような対応をするのか、国王の絆だけで結ばれているイギリスという国家の背景は思ったより複雑なのです。
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