2017年9月25日月曜日

アメリカ人の意識を色濃く受け継ぐデモインというところ


【ニュース】
For our better ordering, and preservation and furtherance of the ends aforesaid; and by virtue here of to enact, constitute, and frame, such just and equal laws, ordinances, acts, constitutions, and offices, from time to time, as shall be thought most meet and convenient for the general good of the colony; unto which we promise all due submission and obedience.
【訳】我々がより良い秩序を維持し、その目的を達成するために団結し、その時々の必要に応じ、植民地全体の利益のために最も適切と判断される、公正で平等な法律、命令、法令を発し、憲法を制定し、政府を組織する。これらの誓約に我々全ては同意し従うことを約束する。(メイフラワー誓約より)

【解説】
一般的にアメリカと聞いて多くの人がイメージする場所といえば、ニューヨーク、グランドキャニオン、ハリウッドなどかもしれません。
もちろん、これらの地域は広大なアメリカの中のごく一部にすぎません。もっと言えば、外国人が頻繁に訪れる地域は、アメリカの中でも極めて限られているのです。

以前ボストン、ニューヨーク、ニューオリンズ、サンフランシスコ、あとは皆クリーブランドという言葉を聞いたことがあります。これは、最初にピックアップされた4つの都市以外はクリーブランドのように、中心街に高層ビルがあり、あとはショッピングモールのある郊外が広がっているという意味で、逆をいえば、アメリカで個性のある都市はこの4つだけだということを皮肉った表現となります。
ハリウッドのあるロサンゼルスも、街の構造はといえば、確かにクリーブランドに似ています。

アメリカのど真ん中にデモインという町があります。アイオワ州の州都です。大平原の中にある都市で、ある意味で一般にアメリカ人が典型的なアメリカとしてイメージするのがこの州であり州都デモインなのです。
アメリカの選挙でのこの地域の票の行方は、常に話題になります。また、新しい商品の売れ行きやテストマーケットのときも、ここでの結果に注目が集まります。というのも、デモイン周辺こそが最も典型的で普通なアメリカとされているからです。

では、そんな「普通のアメリカの普通のアメリカ人」のイメージとはどのようなものでしょうか。
比較的早起きで、朝コーヒーとハムエッグ、そしてトーストをかじって車で出社、8時ごろから敷地面積の大きな平屋のオフィスの自分のブースで働きます。あるいは工場での生産ラインにつきます。そして、午後は5時前にはすでに退社の準備を整えて帰宅。家族と共に夕食をとるときは、皆で手をつないでその日が無事に終わったことを神様に感謝。夕食は家族団欒のもっとも大切な儀式です。その後、日本の一般の家庭と同じように、テレビをみたり、人によっては書斎で残った仕事を片付けたり。時には、夜にタウンミーティング(街の寄り合い)に出席して、地元の学校のスポーツイベントなどについての打ち合わせも行います。
日本と大きく違うのは週末、特に日曜日です。それぞれの家が所属する教会に行ってお祈りをして、時には教会主催のイベントに参加します。彼らにとって教会とのつながりはプライベートな人間関係を促進する意味からも最も大切な活動です。

これがデモインの郊外の人のイメージです。
Middle of Nowhereという言葉あります。これは、見渡す限りの大草原、大平原にある小さな町。どこにでもあって、特定できないものの、アメリカ人がこう言えばすぐにイメージできる一般的なアメリカの風景です。

ここが大切なことは、この一般的なアメリカのイメージとして登場する人々の背景が、キリスト教徒でかつプロテスタントだということです。ヨーロッパでの宗教的な軋轢や迫害を逃れて新大陸に渡ってきたプロテスタントが、この地域の人口の過半を占めているのです。アメリカの社会を理解するには、このプロテスタントの文化への知識が必要です。

このプロテスタントのイメージを代表するのが1620年にメイフラワー号に乗ってボストンの郊外に移住してきたピルグリム・ファーザーズと呼ばれる人々なのです。彼らはイギリスの国教会に組み込まれることを拒否した清教徒、つまりプロテスタントの一派です。彼らが移住してきた場所で生活するために誓約したのが「メイフラワー誓約」と呼ばれる一枚の紙でした。冒頭でのその一部を紹介しました。そこでは入植地で自らの自治の元、法律を定め、信仰を持ってしっかりと生活を切り開くことが約定されています。
これは、彼らがカトリックやイギリス国教会のように大きな教会組織に属するのではなく、神への個人の信仰によって結ばれる者のみの共同体で村を作り、生産を行うことを記したものです。この独立と自治の精神がアメリカ人の精神構造の支柱となってゆくのです。

ですからアイオワ州に住む典型的といわれるアメリカ人は、大きな政府からコントロールされることを嫌い、自分のコミュニティのことは自分たちで決め、自らの生活を守るためには銃を持つことも必要と思います。信仰を共有する自分たちの教会を集合の場として、日曜日に集い、牧師の話を聞きます。メイフラワー号で移住してきた人々の伝統が今でもいきているのです。実は、彼らの多くが、アメリカの利益を優先しようと説いたトランプ大統領を選んだ人々なのです。

トランプ大統領の政策への是非はさておき、メイフラワー号の頃から時が経ち、彼らが上陸してきた地域は世界各国からの移民で埋め尽くされ、当時の伝統はむしろアメリカの内陸で保たれたのです。

長い時の流れの中で文化が伝承されるとき、興味深いことが起こります。
ある文化が迫害や宗教の伝道で他の地域に移動したとき、むしろその移動した地域の方で、元々の地域よりしっかりと伝統が維持され、世代から世代へと受け継がれることがあります。アメリカの多くの地域には、18世紀や19世紀に移住してきた人々の伝統が故郷よりもしっかりと伝承され、いきづいているところがあるのです。
アメリカ社会でのプロテスタントを信奉する人々の意識はまさにその事例といえましょう。彼らは一般的にヨーロッパの人々よりも熱心な信者なのです。この背景が我々が外からみても理解できない、アメリカ人独特の行動様式や常識を形成しているのです。


2017年9月11日月曜日

イギリスとスコットランドをめぐる千年の「縁


【ニュース】
The British monarchy is the direct successor to those of England, Scotland and Ireland. There have been 12 monarchs of the Kingdo m of Great Britain and the United Kingdom since the merger of the Kingdom of England and the Kingdom of Scotland on 1 May 1707.
【訳】イギリス王室はイギリス、スコットランド、そしてアイルランドの直接の継承者で、1707年5月1日にイングランドとスコットランドの王室が合併して以来、12代の君主が君臨している(ウィキペディアより)

【解説】
イギリスという国を「イギリス」と呼ぶ日本人。その語源はというと、戦国時代から江戸時代にかけてのポルトガル語やオランダ語での「イングランド」を意味する語彙が変化したものだといわれています。元々日本人はイギリスのことをエゲレスと呼んでいたことはよく知られています。しかも、当時の日本人には、イギリス本国の内政事情は伝わっていませんでした。
イギリスはイングランドとスコットランド、さらにはウエールズやアイルランド(ここはイギリスの植民地でした)に分かれていて、それぞれ別の国だったという状況は詳細には伝わっていなかったのです。
これがイギリスを一つの国家として意識した日本人のイギリス観の原点となりました。

ポルトガル人が来た頃、日本は戦国乱世でした。当時日本にいろいろな国があって、覇権を争っていた事情がヨーロッパに詳細に伝わらないのと一緒で、彼らは日本のことを一括してJapan(ポルトガル語としてJapao)として意識したのです。

今、イギリスの正式な国名は United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland です。ちなみに、一般的にはこの正式名称の前半部分を省略してUKと呼び、正式名称として使用することもよくあります。イギリスの事情を理解するには、この国名の意味をしっかりと把握することが大切です。
まず United Kingdom ですが、これは文字通り王室が合併したことを意味します。スコットランドとイングランドは元々別の国家でした。しかし、当時ヨーロッパの王国は皇族同士が政略結婚によって複雑にネットワークしていたのです。例えば、オーストリアを統治していたハプスブルグ家の王(神聖ローマ帝国の皇帝)は、スペインの王室と姻戚関係にあったことから、一時スペインがハプスブルグ家に統治されていたこともあったのです。その後、複雑な経緯を経てスペインの王室と同様の姻戚関係にあったフランスの王室がスペインの王位を継承します。皮肉なことに、フランスは1789年から本格的にはじまったフランス革命、さらには19世紀におきた政変でブルボン朝は消滅します。しかし、スペインの現国王フィリッペ6世はれっきとしたブルボン家の末裔なのです。

話は戻りますが、スコットランドとイングランドの王室がそうした姻戚関係の確執の末に一つになったのは1707年のことでした。この両国の合同こそが、United Kingdom ということになります。そして、その時に正式な国の名称となったのがグレートブリテン Great Britain だったのです。

では Britain とは何のことでしょうか。
これは、イギリス本土の島の名前です。さらにお隣のアイルランドや周辺の島を合わせるとブリテン諸島ということになります。ギリシャやローマ帝国の頃に、辺境のこの島をそのように呼んでいたことが語源です。ちなみに、このブリテン島に北欧から移住して王国を造った人々がアングロサクソンと呼ばれる人々で、ローマ帝国の崩壊以降の混乱で、ブリテン島に居住していた人々は時とともにフランスにも逃れてきました。そうした人々の住む地域がフランスのブルターニュ(ブリテンの人々の住む地域)ということになります。

1066年にフランス王の臣下であったノルマンディ公が王族同士の姻戚関係からイングランドでの王位継承を主張し、イングランドに進攻し、王朝を開きます。以来、フランス王とイングランド王との間にも、かつノルマンディ公の進攻を免れたスコットランドとイングランドとの間にも様々な摩擦が絶えなかったのです。

スコットランドは現在 EU に残り、より大陸とのつながりを強くしたいと願っています。それに対してイギリスという国家、すなわち Great Britain は EU からの脱退を決議しました。
イングランドは中世に100年戦争を経てフランスから正式に分離されます。しかし、スコットランドの王室はその後も大陸と深いつながりを持ち続けていました。実はイギリスの繁栄を築いたといわれる16世紀後半のエリザベス一世の時代、この政治的な争いが王族の血で血を洗う確執に発展し、スコットランドの女王であったメアリー・スチュアートがエリザベス一世に処刑されたこともありました。
しかし、現在のエリザベス二世の系譜をたどれば、スコットランド王室の血がしっかりと流れていることがわかります。

以上のような背景を理解しないまま、その昔日本はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland のことを「エゲレス」と呼び、それがイギリスへと変化したのです。

これからEU離脱をめぐり、スコットランドがどのような対応をするのか、国王の絆だけで結ばれているイギリスという国家の背景は思ったより複雑なのです。