2017年7月31日月曜日

『正当な英語』にこだわる日本人の大きな落とし穴



言語教育を考えるとき、そもそも正当な表現や発音は何なのかということに人々はこだわってしまいます。
13億人以上が使用する中国語を例にとれば、最もスタンダードな中国語は北京語であるとされ、人々は北京語のことを「普通話」と呼んでいます。
しかし、長い中国の歴史をみるならば、北京語が標準語になったのはごく最近のことなのです。現在の北京語は、17世紀に満州族が中国に侵攻して打ち立てた清の時代にできあがったといわれています。元々の中国語に満州族の発音などが混ざり、北京語となったという説が有力なのです。

では、本来の中国語のルーツはというと、現在の華中あたりの中国語ではなかったかといわれています。今では、「普通話」以外の中国語は方言とされていますが、実は方言の方が正当な中国語だったというわけです。
日本語では漢字を使いますが、いうまでもなく、これは中国から輸入したものです。そして漢字の音読みの中に中国語の古い発音が残っていることを知っている人はあまり多くないようです。漢詩は中国語の発声の美しさを意識して作詞されているといいますが、現在の北京語では漢詩が頻繁に造られていた唐の時代の発声を再現することはできないのです。むしろ華中の方言や日本語の音読みの中にそのヒントがあるのです。
中国人の多くが方言と言われている地元の発音や発声にこだわっている理由は、本来正当ではない北京語への反発もあるのだと、中国の友人が語ってくれたことを思い出します。
これは日本語でもいえることかもしれません。正当な日本語は東京で話されている言葉かというと、そうではないはずです。元々京都が日本の首都であったわけですから、関西弁の中にそのルーツがあるのかもしれません。
こうしたことを考えると、正当な言語というのは、時の権力や為政者の意図により時代ごとに変化してきたことがわかります。

以上の背景をもとに、英語について考えます。
英語とは、イギリスに起源を持つ言語だといわれていますが、今のイギリスで話されている英語が古来の発音やアクセントをそのまま維持しているかというと、必ずしもそうとはいえないのです。むしろ、イギリスから移民として渡ってきたアメリカ人が受け継ぐ米語の中に、元々の英語の発声の起源をみいだすことができるという専門家も多くいるのです。

正当な言語。それは、現在最も普通に喋られている言葉にすぎません。
さらにいうならば、国家や民族としてのアイデンティティを維持するために、意図的に標準化されていったのが「正当な言語」なのです。
そもそも、世界で喋られる言語としての英語をみた場合、米語であろうが、英語であろうが、それを正当と決めてしまうこと自体に無理があるかもしれません。インド人が強いアクセントの英語を喋るといいますが、インド人からしてみれば、それがごく当たり前の英語というわけです。

そうした視点でこれからの日本の英語教育をみた場合、アクセントや発音にこだわりすぎ、日本人の英語とはなにかいう側面を忘れた場合、そこに大きな落とし穴があることを、ここで強調したいのです。
英語が世界言語である以上、米語のアクセントや発音に合わせ、少しでも似せてゆくことより、日本人のアクセントを世界に流通させる努力も必要なのです。それが日本の国益にもつながることをどれだけの人が意識しているでしょうか。
さらにいうなら、自動翻訳や音声認識に関する技術が世界で共有されつつある現在、そうしたサービスに日本人のアクセントが対応できるようにしてゆく努力を怠ってはいけないのです。英語の発音というビッグデータに、日本人のアクセントをしっかりと組み込んでゆく努力を我々は真剣に考える必要があります。それを怠ると、日本人がコンピュータに向かって喋っても、それが十分に認識されないという不利益につながってしまいます。

日本人は、明治維新以来、欧米に自らを合わせてゆくことに注力してきました。今、英語教育が見直されようとしています。話せて聞けて、コミュニケーションのできる英語を教えるようにという英語教育改革は歓迎されることです。
ただ、そのときに、発音やアクセントにこだわりすぎ、やれ舌の位置だの唇の動かし方だのを完璧にしようとすれば、むしろコミュニケーションそのものの能力開発が後回しになってしまいます。
日本人のアクセントで構わないので、通じて分かり合う英語力を磨く方が、はるかに大切なのです。

正しい発音やアクセントという考え方は、米語を「正当な英語」と意識してはじめて成り立つ概念です。
今、大切なことは、世界に太刀打ちできる日本人を育てることです。「正当な言語」にこだわることではなく、日本人のアクセントがあっても堂々と世界の人々と分かり合える人材を育成することが求められているのです。

それが、ビッグデータでの日本人英語の課題とリスクを考える上でも、忘れてはならないことなのです。

2017年7月4日火曜日

いまだに世界からの人材を育成できない日本企業の課題とは


【ニュース】
Harmony or “Wa” is a basic Japanese value defined as the ability of people to cooperate and work together well.
訳:和の精神は、人と人とがいかに心地よく、ともに過ごし、働くかということを示す、日本の基本的な価値観です。(「日本人の心」より)

【解説】
80年代のニューヨーク。
タイムズスクエアに行けば、そこには日本企業の広告が溢れていました。
そんなタイムズスクエアの雑踏を歩けば、ケチャップ詐欺やワインボトル強盗なるチンピラが、日本人の旅行客を目当てに、キャッシュを頂戴する悪さをしていました。
ケチャップ強盗とは、狙いを定めた人にケチャップをかけて、すみませんと被害者の服を拭いている間に、バッグからお金を頂戴するという連中です。そして、ワインボトル強盗とは、獲物と定めた旅行者にわざとぶつかって、その拍子に持っていたワインの瓶を道に落とし、高級なワインを台無しにされた、弁償しろと言ってキャッシュを奪うワルたちです。
これはニューヨークが治安面での課題が多かった時代のエピソードです。
さらにいえば、ニューヨークのみならず、アメリカ全体がベトナム戦争以降の様々な社会問題、人種問題、そして経済的な地盤沈下に悩んでいました。アメリカの知識人の多くが、アメリカという国家が混乱の中で世界に追いつかれ、追い越されてゆくのではと不安を抱いていました。アメリカの様々な価値観そのものに疑問を抱く人々も多くいました。そんなアメリカに挑戦してきた最大のライバルとして羨望と嫉妬の対象となったのが日本だったのです。

戦後の混乱を克服し、世界でも群を抜いた経済大国になった日本。80年代はまさにそんな日本の絶頂期でした。実際、日本のノウハウを探求しようと多くの人が日本について学んでいました。
マンハッタンの国連ビルの側にジャパン・ソサエティという、日本文化をアメリカに紹介する財団があります。そこでは日本語の講座も開設していますが、当時講座の受講希望者が3,000人を超え、多くの人が予約待ちの状態だったのです。
現在のアメリカでの知日派と呼ばれる人々は、その頃に日本語を学び、日本と交流をもったのです。それは、第二世代の知日派グループとなります。第一世代は、戦後に占領下の日本を訪れたアメリカ軍やその関係者たちでした。第一世代はアメリカと日本との戦争の結果によって、第二世代は経済交流によって育まれたのです。

今、日本語熱も日本への関心も過去のものとなり、逆に日本はグローバル化の波に取り残された、老朽化した経済大国というイメージの方が定着してしまいました。実は、皮肉なことに、そのイメージを最初に抱いたのも、この第二世代の知日派たちだったのです。
それは、日本という異文化社会への好奇心と憧れの後を見舞った失望でした。

当初、日本式のビジネス・マネージメント、そしてコミュニケーション・スタイルは彼らにとって驚きの発見でした。グループでしっかりコンセンサスをとって、「和」 Harmony の精神のもと、それぞれが自らの責任領域の中で忠実にミッションを完遂してゆく日本企業の姿勢は、個人プレーとプレゼンテーションが優先のアメリカ型の常識とは真逆のものだったのです。
しかし、第二世代の人々の多くは、そんな日本型ビジネス文化を直に経験したとき、自らのルーツとのあまりの差異に戸惑ったのです。そして、日本企業の中での自らの立ち位置を見出せないまま、日本社会から離れていったのでした。
これには、日本側にも大きな責任がありました。今でもそうですが、多くの日本企業は、海外からの人材を受け入れたとき、彼らが自らに合わせるよう学習することを求め、彼らの強みをそのまま活用しようとしないのです。
従って、自らを殺し、日本企業に忠実に自分を合わせてゆける人のみが、組織に残り、いわゆる英語が使える「便利屋」として使われてきたのです。
それに失望した人々が日本を去ったのです。まして、バブル経済が崩壊した後の日本には、彼らは魅力を感じなかったはずです。

日本とは異なる文化背景をもつ海外からの人材は、日本企業からみれば確かにマネージしにくいはずです。しかし、日本に合わせるのではなく、彼らの個性と才能をしっかりと活かせる柔軟な組織を造ることができれば、日本企業はさらに世界に根をおろしてゆくことができるはずです。
日本企業に忠実で英語のみを武器としている外国人社員ではなく、世界のダイナミックな経済活動の中で活用できるグローバルな人材をいかに海外から受け入れ育ててゆくか。日本企業にはその見極めと、ノウハウがなかなか培われないのです。

バブルに浮かれた「お金持ち日本人」を目当てにしたケチャップ詐欺とワインボトル強盗。そんなワルのみならず、ビジネス上の動機に押されて真摯に日本を学習しようとした人々までが、日本を離れていった今、知日派の第三世代が世界で枯渇しようとしています。
日本人が、海外の知恵をいかに取り入れ、融合させてゆくかは、中長期的にみれば、そうした日本を知る人を「第三世代」としていかに大切に育ててゆくかという課題に直結しているのです。